メラニー・クライン(Melanie Klein, 1882-1960)

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女性の精神分析家として革新的な研究功績を残したメラニー・クライン(Melanie Klein, 1882-1960)は、1882年にフロイトが主要な臨床活動の舞台としたオーストリアのウィーンで生を受けました。メラニー・クラインは、遊戯療法(プレイセラピー)を利用した児童分析と発達早期の対象関係や防衛機制についての重要理論を構築して、精神分析の歴史の中で重要な役割を果たしました。結婚により医学部を中退したクラインは、E.H.エリクソンやアンナ・フロイトと同じく非医師の分析家(レイ・アナリスト)であり、終生にわたって精神分析協会の会員資格以外に何の学位も取得しませんでしたが、対象関係論の源泉となるクライン派と呼ばれる主要な学派勢力を形成して、正統派精神分析以外の独立学派が興隆するきっかけを作りました。

クライン派に分類される分析家で重要な働きをした人物としては、メラニー・クラインの複雑な理論を書籍化したシーガルや発達早期の母子関係を精緻に再構築したビオン、対象関係論を分かりやすく体系化したウィニコットフェアバーンなどがいます。児童臨床精神医学のアプローチに新たな視点をもたらしたD.W.ウィニコットは、メラニー・クラインの教育分析(スーパーヴィジョン)を10年以上にわたって受けていました。メラニー・クラインのクライン学派は、フロイトが創始した正統派の精神分析学(自我心理学)に対象関係論へと結実する革命的なパラダイム・シフトを引き起こしたと言えるでしょう。

メラニー・クラインは分析家になる以前、慢性的な抑うつ神経症(軽症うつ病)の気分の落ち込みや憂鬱感に悩まされていて、サンドラ・フェレンツィ(Sandor Ferenczi, 1872-1933)の精神分析療法を受けていました。対象関係論の創始者に大きな影響を与えたフェレンツィは、フロイトの側近中の側近として学術研究と臨床実践の才能に秀でた人物でしたが、後年(1932年)、フロイトの勘気を蒙って訣別することになります。フェレンツィとフロイトとの仲違いの原因は、フロイトの精神分析の面接技法(禁欲原則・分析者の中立性)に対立する共感性や受容性を重視する面接技法を提唱したからだと考えられていますが、患者を精神的にリラックスさせて助言や支持を与える『弛緩療法』は、形式的な治療構造と中立的な科学者的態度を重視する精神分析に一石を投じるものでした。

クラインの慢性的な抑うつ感と気分の停滞は、率直な感情を表現し難い日常生活や修復困難な多くの喪失体験にも原因があったようですが、クラインは1921年にハンガリーの首都ブダペストで精神分析協会会員資格を取得し、1922年に夫との離婚を経験してドイツのベルリンへと拠点を移し、フェレンツィの後はアブラハムの教育分析と指導を受けるようになります。

カール・アブラハム(Karl Abraham, 1877-1925)は、精神分析運動の初期からフロイトと活動を共にした側近で、フェレンツィやユングなどと違い最後までフロイトと対立・訣別することのなかった稀有な分析家です。アブラハムは48歳の若さで逝去してしまうのですが、フロイト理論と相容れない部分が多い異端的な理論の提唱者であるクラインが、当時、ウィーンにいたフロイトから激しく攻撃されなかった理由としてアブラハムの保護があったことが考えられます。

アブラハムの死後、クラインはイギリスのロンドンに渡ってそこを永住の地に定めますが、彼女の精力的な理論研究と臨床活動に共鳴して多くの若手研究者がクライン派の理論を学び発展させ始めます。ロンドンに移住したクラインは、フロイトと最後まで良好な師弟関係を維持したアーネスト・ジョーンズと親交を深めますが、フロイトがナチスの迫害を逃れてロンドンに亡命してからはフロイトの娘アンナ・フロイトと児童分析の方法論を巡る論争が過熱します。

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メラニー・クラインは、遊戯療法(プレイセラピー)における子どもの遊びは大人の自由連想と等価であり、発達早期のプレ・エディパル(pre-oedipal)な段階の子どもにもエディプス葛藤に似た精神状態があると論じました。対象関係を結ぶ精神機能(心理体制)のある子どもの遊びは、そのまま、成人の自由連想と同じように精神分析的に解釈することが出来るとクラインは考えていました。そのクラインに対して、アンナ・フロイトはプレ・エディパル(エディプス・コンプレックス以前の時期)な乳幼児に対する精神分析的な解釈は無意味であると批判しました。アンナ・フロイトの自我心理学では、エディプス・コンプレックスを経験していない発達早期の乳幼児は、自他未分離な一次的自己愛(一次的ナルシシズム)の段階にあるので、母親や父親と対象関係を結ぶことが出来ない存在であると想定されています。

母親や父親との対象関係を持てない乳幼児には、主体としての自我がなく対象に向かう欲求・感情がないので、精神分析の解釈を適用するための転移(transference)自体が起こらないとアンナ・フロイトは主張しました。自我のない乳幼児(3歳以下くらいの子ども)への精神分析的解釈は無効であり、両親への教育的ガイダンスを充実させるべきだとするアンナ・フロイトと乳幼児であっても幻想的な対象関係を取り結ぶ能力(妄想‐分裂ポジション)を持つとするメラニー・クラインの間に起こった論争のポイントは、『他者・言語を認識する子どもの精神機能(原初的世界観)がどの段階で生まれるのか』という点にあったといえます。

イギリス精神分析協会を揺らがすアンナ・フロイトとメラニー・クラインの長期に及ぶ深い論争によって、イギリス精神分析協会は『自我心理学派・クライン派・独立学派』の3つの学派に分かれることになります。イギリス協会に3つの学派の分裂が起きたものの、アーネスト・ジョーンズの調停によって、それぞれの学派が代表を選出して重要事項については合議を行うことも取り決められました。

子どもの精神分析や転移分析が可能になるためには、遊戯療法で子どもが見せる遊びの動作と内容に、『子どもの内面世界の投影』が起きる必要があります。更に、子どもが無意識的な幻想世界の中であっても、自分と他者を区別する最低限の精神機能を保持していなければ子どもの精神分析の治療効果は期待できないということになります。

クラインは数多くの児童臨床の経験を通して、子どもの遊びに対する積極性や自発性、それと正反対の遊びに対する消極性や無関心に寄り添って共感的に解釈することには治療的な価値があると確信しました。つまり、子どもの遊びは大人の自由連想と同一の意味を持つものであり、『子どもの原初的な対象関係や幻想的な世界観が遊びの内容に投影される』というのがメラニー・クラインの児童分析の有効性に対する仮説的根拠になっています。

妄想‐分裂ポジションと抑うつポジション

メラニー・クラインの対象関係論の特徴は、対象(object)の概念を、現実世界の物理的な事物だけでなく、幻想世界の精神的な表象(物語的イメージ)にまで拡大したことにあります。出産後間もないプレ・エディパル(エディプス期以前)な子ども(乳幼児)であっても、系統発生的な遺伝要因として『無意識的幻想としての物語』を持っているとクラインは仮定しました。乳幼児には確かに、外界を客観的に理解する現実検討能力(自我機能)は備わっていないのですが、乳幼児の内面には『生得的な幻想の世界』が広がっていて、『生と死の本能に基づく無意識的幻想』を絶えず外界に投影することで独善的(妄想的)に世界を理解しています。

乳幼児は、分裂(splitting)取り入れ(introjection)投影同一化(projective identification)と呼ばれる原始的防衛機制を用いることで、未熟な幻想世界に生きる自我を防衛しますが、生後3‐4ヶ月までの『妄想‐分裂ポジション』では妄想的な迫害や攻撃の不安を絶えず強く感じています。

自我心理学でいう客観的な現実検討能力である自我が形成される以前の発達段階でも、世界を独断的・妄想的・幻想的に認識するスキーマ(認識の基本図式)を持っていて、内的対象(心の内部にある表象)と幻想的な対象関係を取り結ぶことが出来るというのがクライン学派の心理観なのです。フロイトが仮定した『生の欲望(エロス)』『死の欲望(タナトス)』の本能二元論を受け容れたクラインは、妄想‐分裂ポジションの段階の無意識的幻想に見られる破壊衝動や攻撃本能を死の本能の現れとして見ました。

死の本能であるタナトスを有効な説明概念として取り込んだのはクライン学派だけで、他の学派では死の本能の存在自体を認めなかったり批判的な姿勢を取ることが多くなっています。全体的対象や部分対象との間で築かれる対象関係にも『死の本能(タナトス)』が強く影響することがあり、タナトスが作用する端的な感情体験として『嫉妬(jealousy)』『部分対象との間で生起する羨望(envy)』があります。嫉妬は全体的対象を認識できるようになった段階で抱くタナトスが投影されたマイナスの感情のことで、通常、独占したい相手の愛情を巡る三者関係で生じてきます。

羨望とは部分対象しか認識できない段階のマイナスの感情で、自分に満足や安心を与えてくれる『良い部分対象(良い乳房)』を攻撃して破壊したいとする衝動です。羨望は発達早期の原始的な激しい情動であり、『良い乳房』を羨望する時にアンビバレンツに生起する憎悪の感情でもあります。つまり、自分の生命を維持してくれる乳房を『完全な良い乳房』として認識し、自分自身を『破壊衝動が充満した悪い存在』と認識する時に、乳房を羨望する感情が生まれてくるということです。自分の破壊性や攻撃性を生み出すタナトスを『完全な良い乳房』に投影することで、良い乳房をダメな悪い乳房にして引き裂きたい憎悪が生まれます。その結果、羨望の情動には、憧れと憎悪という正反対の感情がアンビバレンツ(両価的)に存在することになります。

何故、クライン学派が、生の本能と死の本能を重視した理論化を進めたのかというと、メラニー・クラインが経験主義的な人間観ではなく合理主義的な人間観を持っていたからです。人間の精神機能や心的過程にある『内的対象』は、親子関係などの記憶や経験の積み重ねによって作られるというのが、自我心理学を含めた常識的な考え方です。しかし、クラインは先天的に存在する生と死の本能が生み出す『無意識的幻想』が、外界に投影されることによって『内的対象』が形成されると逆説的な考え方をしたのです。

無意識的幻想が外部の対象に投影されて、対象に関する『良い・悪い』といった意味が生み出され、それが再び子どもの内部に取り込まれることで内的対象が形成されます。クラインが考えた乳幼児の対象関係とは、『外的対象』そのものの特徴・性質・行動を元にして結ばれる関係ではなく、乳幼児の『本能に基づく幻想』が投影された外的対象を、内的対象として取り込むことで成立する関係なのです。つまり、生まれて間もない乳児(子ども)は、幻想的世界と物理的世界をほぼ同一のものとして体験していると言い換えることが出来ます。

妄想‐分裂ポジション(paranoid-schizoid position:0ヶ月‐3,4ヶ月)

メラニー・クラインの発達理論の最初期の発達段階が『妄想‐分裂ポジション/妄想‐分裂態勢(paranoid-schizoid position:0ヶ月‐3,4ヶ月)』であり、生後間もない乳児は外界に無意識的幻想を『投影』し、攻撃性や破壊性といった幻想を投影した外的対象を『取り入れ』しています。この段階では、乳児は前言語的な心的生活を営んでいて、母親・乳房などの外的対象を様々な側面を併せ持った『全体的対象』として認識することが出来ません。

乳児の幻想世界では、思考・感情・気分を持つ全体的な個人は登場することがなく、身体の特定部位(乳房・口・手・肛門・内部)とその機能(摂取する・噛む・吸う・排出する・挿入する・攻撃する)が断片的な部分対象として登場します。妄想‐分裂ポジションという概念が初めて登場するのは、フェアバーンの精神分析学の影響を受けて書かれた1946年のクラインの論文『いくつかの分割機制についての覚書』であり、抑うつポジションよりもかなり後になって理論化されたことになります。

クラインの発達論で使われる“ポジション”“態勢”と訳されることが多いが、ポジションは一過性の発達段階ではなく一生涯ずっと持続する『経験を解釈するスキーマ(基本図式・認知的枠組み)』のことを意味します。ポジションは、発達早期から発現する『人間の生得的な存在形式』であると同時に『後天的な心的体験の組織化様式』でもあるのです。その為、妄想‐分裂ポジション(paranoid-schizoid position:0ヶ月‐3,4ヶ月)抑うつポジション(depressive position:3,4ヶ月‐12ヶ月)の期間には実際的な意義はなく、便宜的な時間軸での指標に過ぎないということが出来ます。

妄想‐分裂ポジションにある乳児は、主体と客体が分離していないので、心的体験で感じる感情や欲求、思考を自分のものであると明瞭に認識することが出来ません。その為、乳児は現実的状況と無関係に妄想的な不安や迫害的な恐怖を抱き、その不安や恐怖の幻想を外部対象(部分対象である乳房)に投影することになります。母親を個人の全体的対象として認識することが出来れば、母親には自分を保護して安心させてくる『良い側面』と自分に厳しくて不安を抱かせる『悪い側面』の両方の要素があることを理解できますが、乳児は母親を乳房・手といった部分対象としてしか認識することが出来ません。

更に、乳児は『分裂(splitting)』という原始的防衛機制を使うことによって、部分対象である乳房を『良い乳房』『悪い乳房』の二つに二分法的に分類してしまいます。その結果、バランス良く乳房の部分対象を認識(知覚レベルの認識)することが出来なくなってしまい、乳房からミルクが与えられず空腹を感じた時には、その乳房を完全に『悪い乳房』であると認識することになります。空腹時にタイミングよく授乳してくれる乳房が『良い乳房』であり、空腹時になかなか授乳してくれない乳房が『悪い乳房』なのですが、乳児は良い乳房と悪い乳房が同じ母親に属する同一の外部対象であることを認知できず、それら二つの乳房を全く異なる部分対象として理解しています。

乳児は空腹の苦痛や不安を感じるとき、『悪い乳房』に自分の攻撃性の幻想を投影して、『悪い乳房』が自分を迫害して攻撃する危険な対象であるという妄想的な不安・恐怖を抱きます。これが、妄想‐分裂ポジションと呼ばれる理由でもあります。つまり、乳児はミルクを与えてくれる乳房が現れない場合に、『良い乳房』の喪失や不足といった事態を想定するのではなく、『悪い乳房』からの迫害や攻撃といった事態を妄想するのです。

そして、自分に満足感や安心感を与えてくれる『良い乳房』と自分を迫害して攻撃してくる『悪い乳房』は、原始的防衛機制の分裂によって完全に別の部分対象として体験されることになります。乳児は自分に欠乏の不快や恐怖を与える『悪い乳房(悪い母親)』を憎悪して、引き裂いて貪りたいという口唇期サディズムの衝動を妄想的に抱きます。クラインの想定した分裂と投影の防衛機制を前提としてこの状況を考えると、『良い乳房』に生の本能であるエロスが投影され、『悪い乳房』に死の本能であるタナトスが投影されていることになります。死の本能は絶滅の不安と恐怖に直結していて、それを原始的防衛機制で軽減しようとするのですが、『生得的な一次不安』にはこの迫害不安以外にも出生外傷や生理的欲求の不足などがあります。

生まれながらに持っている一次不安の防衛機制である分裂が自分自身に対して過剰に働き、自己を粉々に細分化しようとすると、統合失調症(精神分裂病)的な自我の解体や精神の荒廃が見られるようになるとクラインは考えました。また、一次不安を防衛する為に『良い乳房・良い母親』を完全に良い対象にしようとする『理想化(idealization)』『悪い乳房・悪い母親』を完全に殲滅しようとする『否認(denial)』の防衛機制が働くことも少なくありません。

赤ちゃんにミルクを与える母親(人工ミルクの場合は父親のケースもあるでしょう)は、ミルクを求めて激しく泣き叫ぶ乳児の攻撃性や破壊性を投影されて精神的に緊張し、反射的に乳児の存在と同一化することで乳児の空腹の欲求を満たしてあげようとします。言語的コミュニケーションや意識的な感情体験を介在しない母子間の直感的コミュニケーションには、投影同一化の防衛機制が働いています。妄想‐分裂ポジションの発達段階・スキーマでは、『分裂(splitting)・投影同一化(projective identification)・取り込み(introjection)・投影(projection)』などの原始的防衛機制が乳児の精神活動で主要な役割を果たしています。

『抑うつポジション』『妄想‐分裂ポジション』の最大の違いが何処にあるのかを考えると、フロイトが幼児的な精神機能として提起した『幼児的全能感と魔術的思考の有無』にまずその違いが求められるでしょう。そして、自分の本能的欲求や幻想的衝動が魔術的思考で満たされると考える『妄想‐分裂ポジション』では、『良い対象』と『悪い対象』は分裂していて、良い対象を口唇期サディズムで破壊してもすぐに魔術的思考で再生・復活できると考えられています。思考する主体のない乳児の幼児的全能感は、自己・他者を主体的な感情や苦痛のない『物理的な部分』として知覚するので、抑うつポジションで見られるような『良い部分対象』を傷つけてしまったが故の償いの感情や罪悪感の苦悩を感じることはありません。

抑うつポジションと比較した場合の妄想‐分裂ポジションの特徴は、『主体性の欠如・時間性の喪失・責任感の不在・部分対象の知覚(認識)』であり、自己の主体性と他者の主体性の存在に気づき共感感情が芽生えてくる時に抑うつポジションへの移行を迎えます。

抑うつポジション(depressive position:3,4ヶ月‐12ヶ月)

抑うつポジション(depressive position:3,4ヶ月‐12ヶ月)では、『良い乳房・良い母親』『良い乳房・悪い乳房』に分裂(分割)していた部分対象が統合され全体的対象となります。そして、思考・感情・欲求・解釈の精神機能を持つ主体としての自己の存在に気づき、乳房を持つ母親にも『自己と同等の人格性・意識性・主体性』が存在していることに気づきます。

主体性が欠如していた自他の区別が曖昧な妄想‐分裂ポジションでは、部分対象に対する共感や思いやりの情緒は生じませんが、自己・他者の主体性と全体性を認識できるようになる抑うつポジションでは全体対象に対する共感や思いやりの情緒が生じてきます。特に、『良い乳房』と『悪い乳房』が統合されて全体対象になることで、子どもは自分がかつて攻撃して破壊しようとしていた悪い乳房が良い乳房と同一のものであったことに気づき、後悔の念を覚え抑うつ感につながる悲哀感情を抱くようになります。愛する対象を傷つけてしまったという良心や罪悪感の芽生えによって乳幼児は悲哀感情や抑うつ感を感じるようになるので、この段階を抑うつポジションといいます。

全体対象としての自己と他者の主体性を認識できるようになる抑うつポジションでは、大切な愛する対象を喪失してしまうのではないかという見捨てられ不安に似た感情が生まれ、愛する対象を自己の攻撃性や破壊衝動で傷つけてしまうのではないかという心配と罪悪感が生まれます。抑うつポジションにおける主要な恐怖として、『内的迫害者による自我の破壊の恐怖』『愛する対象を喪失する恐怖(見捨てられる恐怖)』があります。

愛する対象を喪失する恐怖とそこから生じる悲哀と抑うつ感は、抑うつポジションの心的過程の典型的な特徴であり、これは乳幼児期の一時期だけに見られるものではなく、他者の愛情や承認を求める人間が生涯を通して背負わなければならない実存的な孤独の悲しみであり抑うつであるといえるでしょう。乳幼児期から児童期、思春期を過ぎて青年期の成人になっても、愛する対象を喪失する悲哀や抑うつの痛みからは逃れることが出来ず、私達人間は愛する対象を失った時、何とかしてその対象を再び取り返そうとします。

日常的な言葉で『失った相手を取り戻したいという気持ち』を表現すると、別れた相手に対する未練がましい心理であったり、相手への強い依存心や諦めることが出来ない執着心であったりします。そして、失恋や離婚という対象喪失の悲しみの場面で人はよく『私の何処が悪かったの?悪いところを言ってくれればちゃんと直すからまた戻ってきて欲しい』という台詞を語ります。この心的過程を対象喪失の悲哀を防衛する『償い』『焦心』の心理として理解することができ、この愛する者を傷つけた罪悪の償いをするからまた元通りの関係に戻って欲しいとする心的過程は、自他の主体性を自覚する抑うつポジションに特有のものです。

全体的対象との相互的コミュニケーションを行って、過去・現在・未来の時間経過を意識することが出来る抑うつポジションでは、妄想‐分裂ポジションで用いられるような原始的防衛機制(分裂や投影同一化)は用いられず、感じたくない情動や考えたくない思考を無意識領域に追いやる『抑圧(repression)』という適応能力の高い防衛機制が使われるようになります。幼児期によく見られる抑圧以外の主要な防衛機制として、双極性障害(躁鬱病)の躁状態にも似た『躁的防衛』という防衛機制がありますが、躁的防衛の特徴は『肯定的・楽観的な精神を高揚させる想像(イメージ)で対象喪失の不安や悲哀を防衛する』ということです。

しかし、幼児的全能感に似た想像力が生み出す気分の興奮(ハイテンション)によって、対象喪失の不安や悲哀を乗り越えようとする躁的防衛は挫折しやすく、躁的防衛に失敗した場合には『償い』によって対象の好意や愛情を回復しようとする強迫的防衛が反復するようになります。罪悪感による謝罪や償いによる愛情の回復によっても、喪失した対象が回復されない場合には『妄想‐分裂ポジションへの退行』が起こりやすくなり全体対象に対して憎悪や攻撃欲求といった感情を投影しやすくなります。

しかし、妄想‐分裂ポジションへの退行が起こった場合にも、自己の憎悪や攻撃性といった負の感情を相手(全体対象)に投影していることが分かれば、フロイトが対象喪失からの回復過程で必要と考えた『喪の仕事(mourning work)』を一定期間行うことで、怒り・憎悪・悲哀・抑うつ感といった不快なマイナスの感情を段階的に和らげていくことが出来ます。

いずれにしても、『妄想‐分裂ポジション』から『抑うつポジション』への発達的移行には明瞭な境界線があるわけではありません。人間は、『他者を愛する・対象喪失の抑うつを克服する』という成熟した大人のポジション(体験様式)と『他者を憎悪する・対象喪失の抑うつを継続する』という未熟な幼児的ポジション(体験様式)を行ったり来たりしながら、内的対象の関係性を巡るアンビバレントな感情体験を解決していかなければならないのです。

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