『枕草子』の現代語訳:46

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『もののあはれ知らせ顔なるもの~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

81段

もののあはれ知らせ顔なるもの

はな垂り、間もなうかみつつ、もの言ふ声。眉抜く。

[現代語訳]

81段

人の悲しみを知らせてくれるような顔というもの

鼻を垂らして、休む間もなく鼻をかみながらしゃべる声。眉を抜いている者の顔。

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[古文・原文]

82段

さて、その左衛門の陣などに行きて後、里に出でて暫しあるほどに、(宮)「疾く(とく)まゐりね」などある仰事(おおせごと)の端に、(宮)「左衛門の陣へ行きし後(うしろ)なむ、常におぼしめし出でらるる。いかでか、さ、つれなくうち古りてありしならむ。いみじうめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる御返りに、かしこまりのよし申して、私には(清少納言)「いかでかは、めでたしと思ひ侍らざらむ。御前にも、『中なるをとめ』とは御覧じおはしましけむ、となむ、思ひ給へし」と、聞えさせたれば、

たちかへり、(宮)「いみじく思ふべかなる仲忠(なかただ)が面伏せ(おもてぶせ)なることは、いかで啓(けい)したるぞ。ただ今宵のうちに、よろづのことを捨ててまゐれ。さらずはいみじうにくませ給はむ」となむ、仰事あれば、(清少納言)「よろしからむにてだに、ゆゆし。まいて、『いみじう』とある文字には、命も身もさながら捨ててなむ」とて、まゐりにき。

[現代語訳]

82段

さて、左衛門の陣に行ったりした後、里に下って暫く経つうちに、中宮から「早く参内(さんだい)せよ」などというお手紙の端に、(宮)「左衛門の陣に出かけて行ったあなたの後ろ姿が、中宮にはいつもお思い出されになる。どうしてあんなに平気で古臭い恰好をしていたのでしょう。とても素晴らしいだろうと自分では思っていたようですが」などとおっしゃった返事に、恐縮した旨を申し伝えて私信を返して、「どうして素晴らしいと思わないことがあるでしょうか。中宮様も(あの時の明け方の情況を)『中なるをとめ』の歌のようにうっとりと御覧になられたであろうと思っておりました」と申し上げると、

折り返しの返事で、(宮)「お前が非常に強く思っている仲忠の面目を潰してしまうようなことを、どうして言上したのか。すぐに今夜のうちに、何を捨て置いても参上せよ。そうでなければ、ひどく憎まれてしまうだろう」とお手紙が送ってきたので、(清少納言)「好ましくないということでも大変なことです。まして『ひどく(憎む)』という文字があるからには、命も身もそのまま打ち捨てて参上します」と返事をしてすぐに参上した。

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