『枕草子』の現代語訳:146

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『また業平の中将のもとに、母の皇女の「いよいよ見まく」とのたまへる、いみじうあはれにをかし~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

293段

また業平(なりひら)の中将のもとに、母の皇女(みこ)の「いよいよ見まく」とのたまへる、いみじうあはれにをかし。ひきあけて見たりけむこそ、思ひやらるれ。

294段

をかしと思ふ歌を、草子などに書きておきたるに、言ふかひなき下衆のうち歌ひたるこそ、いと心憂けれ。

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[現代語訳]

293段

また、在原業平(ありわらのなりひら)の中将の所に、母の皇女(みこ)が「いよいよ見まく」と詠んでお送りになられたのは、とても哀れで面白い。それを引き開けて見た時の業平の気持ちが、思いやられることである。

294段

情趣があると思った歌を、草子(本)などに書いておいたのに、言うまでもない下衆がその歌を歌ってしまったのは、非常に情けないことである。

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[古文・原文]

295段

よろしき男(をのこ)を、下衆女などのほめて、「いみじうなつかしうおはします」など言へば、やがて思ひおとされぬべし。そしらるるは、なかなかよし。下衆にほめらるるは、女だにいとわろし。また、ほむるままに言ひそこなひつるものをば。

296段

左右の衛門の尉(えもんのじょう)を、判官(ほうがん)といふ名つけて、いみじう恐ろしうかしこきものに思ひたるこそ。夜行(やこう)し、細殿(ほそどの)などに入り臥したる、いと見苦しかし。布の白袴、几帳にうち掛け、袍(うえのきぬ)の長く所狭きをわがね掛けたる、いとつきなし。太刀の後にひき掛けなどして立ちさまよふは、されどよし。青色をただ常に着たらば、いかにをかしからむ。「見し有明ぞ」と、誰言ひけむ。

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[現代語訳]

295段

かなり身分の高い男を、下衆女などがほめて、「とてもお優しくていらっしゃる」などと言うと、すぐにその下衆女の思いのせいで男の価値が貶められてしまう。下衆女に非難されるのは、逆に良い。身分の低い下衆にほめられるのは、女だってとても情けないことだ。また、本人は上手くほめているつもりでも、(的外れな部分をほめて)言い間違っているものなのだから。

296段

左右の衛門の尉(えもんのじょう)を、判官(ほうがん)という名前で呼んで、とても恐ろしくて畏れ多いもののように思われていることだ。夜の見回りの時、細殿(ほそどの)などの女房の局に入り込んで寝ていたりするのは、とても見苦しいものだ。布の白袴を几帳にうち掛けて、長い袍(うえのきぬ)を所狭しとばかりに束ねて掛けているのは、とても似つかわしくない。衣を太刀の後ろに引っ掛けなどして、局を立ち歩いている様子は、しかし、良いものだ。判官の官職用の青色の衣をただいつも着ていたら、どんなにお洒落だろうか。「見し有明ぞ」とは、誰が詠んだ歌だったか。

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