『枕草子』の現代語訳:115

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『祭の帰さ、いとをかし。昨日は、よろづのことうるはしくて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

208段(続き)

祭の帰さ、いとをかし。昨日は、よろづのことうるはしくて、一条の大路の広う清げなるに、日の影も暑く、車にさし入りたるもまばゆければ、扇して隠し、居直り、久しく待つも苦しく、汗などもあえしを、今日は、いと疾く急ぎ出でて、雲林院(うりんいん)、知足院(ちそくいん)などのもとに立てる車ども、葵鬘(あおいかづら)どももうちなびきて見ゆる、日は出でたれども、空はなほうち曇りたるに、いみじういかで聞かむと、目をさまし起き居て待たるる郭公(ほととぎす)の、あまたさへあるにやと鳴きひびかすは、いみじうめでたしと思ふに、鶯(うぐいす)の老いたる声して、かれに似せむとををしううち添へたるこそ、憎けれど、またをかしけれ。

いつしかと待つに、御社の方(みやしろのかた)より、赤衣(あかぎぬ)うち着たる者どもなどの、連れ立ちて来るを、「いかにぞ、事なりぬや」と言へば、「まだ無期(むご)」など答へて(いらえて)、御輿(みこし)など持て帰る。かれに奉りておはしますらむも、めでたくけたかく、いかでさる下司(げす)などの、近く侍ふにかとぞ、恐ろしき。

はるかげに言ひつれど、ほどなく還らせ給ふ。扇より始めて、青朽葉(あおくちば)どものいとをかしう見ゆるに所の衆の、青色に白襲(しらがさね)をけしきばかり引きかけたるは、卯の花の垣根近うおぼえて、郭公(ほととぎす)も陰に隠れぬべくぞ見ゆるかし。昨日は車一つにあまた乗りて、二藍の直衣(ふたあいのなおし)、指貫(さしぬき)、あるは狩衣(かりぎぬ)など乱れて、簾ときおろし、物狂ほしきまで見えし君達(きんだち)の、斎院(さいいん)の垣下(ゑが)にとて、日の装束うるはしうして、今日は一人づつ、さうざうしく乗りたる後に、をかしげなる殿上童(てんじょうわらわ)乗せたるも、をかし。

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[現代語訳]

208段(続き)

(賀茂祭の翌日には斎王・いつきのみこが上社から紫野の斎院に帰るが)祭の帰りの行列は、本当に素晴らしい。昨日は、何もかもがきっちりとしていて、広くて綺麗に掃除されている一条の大路に、日差しも暑く、見物に立てている車の中に差し入っていてもまぶしいので、扇で顔を隠して、座り直したりして、長く待っているのも苦しく、汗などもかいて仕方なかったけれど、今日は、朝早くに急いで家を出てきて、雲林院(うりんいん)、知足院(ちそくいん)などの所に立っている車に付けた葵鬘(あおいかづら)も風になびいて見える。日は出てきたけれども、空はまだ曇っているのに、とても鳴き声を聞きたくてどうやって聞こうかと、目を覚まして起きていて、その鳴き声を待っている郭公(ほととぎす)だが、たくさんいるのだろうかと思われるほど鳴き声を響かせるのは、とても素晴らしいと思うのに、鶯(うぐいす)が老いぼれた声で、ほととぎすに似せようとして一生懸命な声を添えているのは、憎たらしいけれど、また面白いものでもある。

まだかまだかと待っていると、上(かみ)の御社(おやしろ)の方から、赤い狩衣を着た者たちが、連れ立ってやって来るので、「行列はどうですか、もうやって来るのでしょうか。」と聞くと、「まだまだです。全然来てません。」などと答えて、御輿などを持って斎院に帰っていく。あの御輿に乗っていらしゃるであろう斎王(いつきのみこ)を思うと、素晴らしくて高貴で気高く、どうしてそのような身分の低い者どもが、側近くにお仕えしているのだろうかと、恐ろしくなる。

(赤い狩衣の者たちは)行列が来るのは遥か先のことのように言ったけれど、それからほどなくして、行列がお帰りになる。従う女官たちの扇(扉)から始まって、青朽葉(あおくちば)の衣裳がとても素敵に見えるのに、先駆けの所の衆の、青色の衣に白襲(しらがさね)の裾を少しだけ帯にかけた様子は、卯の花の垣根に近い景色のように思われて、(歌にあるように)ほととぎすもその陰に隠れそうに見えてしまう。昨日は、車一台に大勢の人が乗って、二藍の直衣(ふたあいのなおし)、指貫(さしぬき)、あるは狩衣(かりぎぬ)など好きな服装で騒いで、車の簾を外してしまって、物狂おしいほどにはしゃいでいる君達(きんだち)が、斎院の饗宴のお相手役をするということで、束帯の威儀を正して、今日は車に一人ずつ、大人しく乗ったその後ろの席に、可愛らしい殿上童を乗せているのは、風情がある。

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[古文・原文]

208段(終わり)

わたり果てぬるすなはちは、ここちも惑ふらむ、我も我もと危ふく恐ろしきまで、先に立たむと急ぐを、「かくな急ぎそ」と、扇をさし出でて制するに、聞きも入れねば、わりなきに、少し広き所にて強ひてとどめさせて立てる、心もとなくにくしとぞ思ひたるべきに、ひかへたる車どもを見やりたるこそ、をかしけれ。

男車の誰とも知らぬが、後(しり)にひき続きて来るも、ただなるよりはをかしきに、ひき別るる所にて、「峰にわかるる」と言ひたるも、をかし。なほ飽かずをかしければ、斎院の鳥居のもとまで行きて見るをりもあり。内侍(ないし)の車などのいと騒がしければ、異方(ことかた)の道より帰れば、まことの山里めきてあはれなるに、うつ木垣根といふものの、いと荒々しく、おどろおどろしげに、さし出でたる枝どもなど多かるに、花はまだよくもひらけ果てず、つぼみたるがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたに挿したるも、鬘(かづら)などの萎みたるが口惜しきに、をかしうおぼゆ。いと狭う(せばう)、えも通るまじう見ゆる行く先を、近う行きもて行けば、さしもあらざりけるこそ、をかしけれ。

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[現代語訳]

208段(終わり)

行列が通り過ぎていったそのすぐ後は、心も焦ってしまうのか、我も我もと危なげで恐ろしく思われるほどに、人の車よりも先に立とうと急ぐのを、「そんなに急いではいけません」と、扇を差し出して制するのだが、聞き入れてくれないので、どうしようもない、少し広い所で無理やり車を止めさせて立っているのを、お供の者たちは、落ち着かず憎いと思っているようだが、後ろに止まっている多くの車を見渡してみるのが、面白い。

男車で誰のものかは分からないが、自分の車の後に続いてくるのも、ただ何もないよりは面白いが、道を別々に分かれる所で、「峰にわかるる」と言ったのも、面白い。まだ御輿が終わりなく続いてくるので、斎院の鳥居の所まで行って御輿の中を見てくることもある。内侍(ないし)の車などが帰るときにはとても騒がしくなる(混雑する)ので、違う道から帰ると、本当の山里のような感じで風情があるが、うつ木垣根というものが、とても荒々しくぼうぼうに茂っていて、道に出てきた枝なども多いのに、花はまだ十分には開ききっておらず、蕾(つぼみ)のままに見える枝を折ってこさせて、車のあちらこちらに挿したのも、葵鬘(あおいかづら)などの萎んでしまったものが残念な感じになっていたので、蕾の枝が趣き深く思える。とても狭くて、車が通れそうもないように見える道の行き先を、近くにまで車で行ってみると、その道が通れないほどの狭さでもないと分かったのは、面白い。

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