『枕草子』の現代語訳:100

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『宮仕へ人の里なども、親ども二人あるは、いとよし~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

174段

宮仕へ人の里なども、親ども二人あるは、いとよし。人しげく出で入り、奥の方にあまた声々さまざま聞え、馬の音などして、いと騒がしきまであれど、とがもなし。されど、忍びてもあらはれても、おのづから、「出でたまひにけるを、え知らで」とも、また、「いつかまゐり給ふ」など言ひに、さしのぞき来るもあり。

心かけたる人はた、いかがは。門(かど)あけなどするを、うたて騒がしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。「大御門(おおみかど)は、さしつや」など問ふなれば、「今。まだ人のおはすれば」など言ふ者の、なまふせがしげに思ひて答ふる(いらうる)にも、「人出で給ひなば、疾くさせ。このころ、盗人(ぬすびと)いと多かなり。火危ふし」など言ひたるが、いとむつかしう、うち聞く人だにあり、この人の供なる者どもは、わびぬにやあらむ、この客(かく)今や出づると、絶えずさしのぞきてけしき見る者どもを、笑ふべかめり。

真似うちするを聞かば、ましていかにきびしく言ひとがめむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心なき人は、必ず来などやはする。されど、すくよかなるは、「夜更けぬ。御門(みかど)危ふかなり」など笑ひて、出でぬるもあり。まことに志ことなる人は、「早(はや)」など、あまたたびやらはるれど、なほ居明せば(いあかせば)、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門(みかど)を今宵らいさうとあけひろげて」と聞えごちて、あぢきなく、暁にぞ、さすなるは、いかがはにくきを、親添ひぬるは、猶さぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへ、つつまし。兄の家なども、けにくきは、さぞあらむ。

夜中、暁ともなく、門いと心かしこうももてなさず、何の宮、内裏(うち)わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子なども上げながら冬の夜を居明して、人の出でぬる後も見出したるこそ、をかしけれ。有明などはまして、いとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、急ぎても寝られず、人の上ども言ひあはせて、歌など語り聞くままに、寝入りぬるこそ、をかしけれ。

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[現代語訳]

174段

宮仕えをしている女の里(実家)なども、両親が二人揃っている時は、とても良い ものだ。人がしげしげと出入りして、奥の方で沢山の人たちの色んな声が聞こえ、馬の音などがして、とても騒がしいくらいだが、それは問題でもない。しかし、人目を忍んでも公然としていても、自然に、「里にお帰りになっていたことを、知りませんで。」とか、また、「いつ参上されるのですか。」とか言いに、少しだけやってくる人もいる。

こちらに思いを掛けている人なら、当然やって来る。門を開けたりすると、とても大騒ぎして大げさなことになり、夜中まで騒がしくしてなどと思っている様子が、本当に憎らしい。「御門の鍵はしましたか。」などと尋ねる姿に、「今、閉めます。まだお客さんがいらっしゃいますから。」などと言う者が、迷惑そうな感じで答えるのも、「お客さんがお帰りになったらすぐ閉めなさい。最近は、盗人がとても多いようです。火も危ないですから。」などと言っているのが、とても不快だし、それを聞いているお客さんもいるというのに、この客のお供の者どもは、夜遅くの訪問を悪いとも思ってもいないようで、このお客がもう帰るだろうかと、絶えず覗きにやって来ている下僕の者どもを、笑っているようである。

口真似をしているのを聞いたら、更に激しくどんなに厳しく言い咎められることだろうか。はっきりと表に出して言わなくても、こちらに思いを寄せていない人が、こんな時間にやって来るはずがない。しかし、くどくない人は、「夜も更けた。御門が危ないようですから。」などと笑って、帰ってしまう人もいる。本当に思いの志が強い人は、「早く(お帰りください)」などと、何度も追い払われようとしても、なお夜をそこに座り込んで明かすので、何回も見回りをしているうちに、夜も明けるような様子なので、とても珍しいお客だと思って、「大変ですね、今夜は御門を広々と開け開いたままで。」と、聞こえるように言って、面白くなさそうに、明け方になって門の鍵を閉めるのは、とても憎らしい(じれったい)が、親と一緒にいる女は、やはりそのようなものである。まして、本当の親でない場合は、どう思っているだろうかと、遠慮してしまう。兄の家などでも、憎たらしい合わない人だったら、そんなものだろう。

夜中も明け方もなく、門をしっかりと閉めず、どこの宮様、宮中、その周辺に仕えている女房たちも、一緒に出てきたりして、格子なども上げたまま、冬の夜を座って明かして、お客が帰った後にも庭を眺めている、これも風情がある。有明の月などはまして、いっそう素晴らしいものである。お客が笛など吹きながら帰っていった後は、すぐには眠ることもできず、人々の噂話などを言い合って、歌などを話したり聞いたりしているうちに、寝入ってしまう、これが面白いのだ。

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[古文・原文]

175段

ある所に、なにの君とかや言ひける人のもとに、君達(きんだち)にはあらねど、そのころいたう好いたる者にいはれ、心ばせある人の、九月ばかりに行きて、有明のいみじう霧りみちておもしろきに、名残思ひいでられむと、言葉を尽くして出づるに、今は去ぬらむ(いぬらん)と、遠く見送るほど、えも言はず艶(えん)なり。

出づるかたを見せて立ち帰り、立蔀(たてじとみ)の間に、陰に添ひて立ち、なほ行きやらぬさまに今ひとたび言ひ知らせむと思ふに、「有明の月のありつつも」と、忍びやかにうち言ひてさしのぞきたる髪の、頭(かしら)にも寄り来ず、五寸ばかりさがりて、火をさしともしたるやうなりけるに、月の光もよほされて、驚かるるここちしければ、やをら出でにけり、とこそ、語りしか。

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[現代語訳]

175段

ある所に、何とかの君とか呼ばれていた女房の所に、君達というほど身分の高い家柄ではないが、その頃、大変な風流者(伊達男)と噂され、情趣を解する心がある人が、九月頃に出て行って、有明の月が霧に包まれるとても風情がある時だったが、女の心に名残を残そうと思って、言葉を尽くして帰ったが、もう帰ってしまっただろうと、ずっと見送っている姿は、何とも言えないほどに艶っぽいものである。

帰ると見せかけて立ち戻って、立蔀(たてじとみ)の間に、陰に身を寄せて立って、どうしてもこのまま帰れないという気持ちを、今一度言って知らせようと思ったところ、女が「有明の月のありつつも」と、小さな声で口ずさんで外を覗いているその髪が、頭の動きにも軽やかについてこず、額の髪が五寸ほど垂れていて、ともし火を近くにつけたようだったが、月の光も髪のつややかさに誘われて輝き、驚くような気持ちがしたので、そのまま出て帰ってきたと、その人が語ってくれた。

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