『竹取物語』の原文・現代語訳13

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『中納言石上麻呂足の、家に使はるる男どものもとに~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

中納言石上麻呂足(いそのかみのまろたり)の、家に使はるる男どものもとに、『燕(つばくらめ)の、巣くひたらば、告げよ』とのたまふを、承りて、『何の用にかあらむ』と申す。答へてのたまふやう、『燕の持たる子安貝を取らむ料(りょう)なり』とのたまふ。男ども答へて申す、『燕をあまた殺して見るだにも、腹に無きものなり。ただし、子産む時なむ、いかでか出だすらむ、はらかくると申す。人だに見れば失せぬ』と申す。

また人の申すやうは、『大炊寮(おおいづかさ)の飯(いひ)炊く(かしく)屋の棟に、つくのあるごとに燕は巣をくひ侍る、それに、まめならむ男どもを率(ゐ)てまかりて、あぐらを結ひ上げて、うかがはせむに、そこらの燕、子産まざらむやは。さてこそ取らしめ給はめ』と申す。中納言喜び給ひて、『をかしきことにもあるかな。もつともえ知らざりけり。興あること申したり』とのたまひて、まめなる男二十人ばかり遣はして、あななひに上げすゑられたり。

[現代語訳]

中納言の石上麻呂足が家来の男たちに、『燕が巣を作ったら知らせよ。』と命じて、それを承った家来たちが、『何に使うのですか。』と聞いた。その質問に答えて、『燕が持っているという子安貝を取るためだ。』とおっしゃった。男たちは、『沢山の燕を殺して見てみましたが、燕の腹の中にはありません。しかし、子を産む時にはどうして出しているのか、子安貝をお腹に抱えているといいます。人間がそれを見ようとすると消えてしまいます。』と答えて申し上げた。

また、ある人が言うには、『食糧を管理する役所には炊飯のための建物がありますが、その棟の柱ごとに燕は巣を作っています。そこに忠実な家来の男たちを連れていって、足場を高く組み上げて上から覗かせれば、何匹かの燕は子を産んでいるでしょう。そこで子安貝を取らせれば良いのです。』ということである。中納言は喜んで、『面白い話もあるものだ。全くそんな事は知らなかった。役立つ事を教えてくれた。』と言って、忠実な家来の男を二十人ばかり派遣して、高い足場を組んでその上に登らせた。

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[古文・原文]

殿より使ひひまなく賜(たま)はせて、『子安の貝取りたるか』と問はせ給ふ。燕も、人のあまた上り居たるにおぢて、巣にも上り来ず。かかる由(よし)の返事を申したれば、聞き給ひて、『如何(いかが)すべき』とおぼし煩ふに、かの寮(つかさ)の官人(かんにん)倉津麻呂(くらつまろ)と申す翁申すやう、『子安貝取らむとおぼし召さば、たばかり申さむ』とて御前に参りたれば、中納言、額を合はせてむかひ給へり。

倉津麻呂が申すやう、『この燕の子安貝は、悪しくたばかりて取らせ給ふなり。さてはえ取らせ給はじ。あななひにおどろおどろしく二十人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで来ず。せさせ給ふべきやうは、このあななひをこほちて、人皆退きて、まめならむ人一人を荒籠(あらこ)に乗せ据ゑて、綱を構へて、鳥の子産まむ間に綱をつり上げさせて、ふと、子安貝を取らせ給はむなむ、よかるべき』と申す。

中納言のたまふやう、『いとよきことなり』とて、あななひをこほち、人皆帰りまうで来(き)ぬ。

[現代語訳]

中納言は休む暇なく使者を派遣して、『子安貝は取れたか。』と尋ね続けた。燕も大勢の人が登ってくることに怯えて、巣まで飛んでこない。そのような状況についての返事を受けて、『どうすれば良いのか。』と思い悩んでいると、あの食糧を管理する役所の下役人である倉津麻呂という老人が、『子安貝を取りたいと思っておられるのであれば、取り方をお教えしましょう。』と言って中納言の御前に参上してきた。中納言はそのおじいさんの役人と、額を付き合わせて話し合った。

倉津麻呂は、『この燕の子安貝が取れないのは、取る方法が間違っているからです。これでは取れなくて当たり前です。足場に大騒ぎしながら二十人もの人間が登れば、燕は恐れて巣に寄り付きません。まずやるべき事は、この足場を崩してしまって、人間をみんな退かせて、忠実な一人の家来だけを、目の粗い籠に乗せて、引き上げるための綱をつけておきます。燕が子を産もうとしている時に綱を引き上げさせて、さっと素早く子安貝を取らせるのが良い取り方ですよ。』と申し上げた。

中納言は『とても良いやり方だ。』と言って、足場を崩して、家来たちをみんな屋敷に帰らせた。

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