『枕草子』の現代語訳:124

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『一条の院をば、今内裏とぞ言ふ。おはします殿は清涼殿にて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

230段

一条の院をば、今内裏(いまだいり)とぞ言ふ。おはします殿は清涼殿(せいりょうでん)にて、その北なる殿におはします。西、東は渡殿(わたどの)にて、渡らせ給ひ、まうのぼらせ給ふ道にて、前は壺なれば、前栽(せんざい)植ゑ、籬(ませ)結ひて、いとをかし。

二月二十日ばかりの、うらうらとのどかに照りたるに、渡殿の西の廂(ひさし)にて、上の御笛吹かせ給ふ。高遠の兵部卿、御笛の師にてものし給ふを、御笛二つして、高砂ををりかへして吹かせ給ふは、なほ、いみじうめでたしと言ふも世の常なり。御笛のことどもなど奏し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集り出でて見奉るをりは、「芹摘みし」など覚ゆることこそなけれ。

すけただは(藤原輔尹は)、木工の允(もくのじょう)にてぞ、蔵人(くろうど)にはなりたる。いみじく荒々しくうたてあれば、殿上人、女房、「あらはこそ」とつけたるを、歌に作りて、「左右なしの主、尾張人(おわりうど)の胤(たね)にぞありける」と歌ふは、尾張の兼時(かねとき)が女の腹なりけり。これを御笛に吹かせ給ふを、添ひに侍ひて、「なほ、高く吹かせおはしませ。え聞きさぶらはじ」と申せば、「いかが。さりとも聞き知りなむ」とて、密(みそか)にのみ吹かせ給ふに、あなたより渡りおはしまして、「かの者なかりけり。ただ今こそ吹かめ」と、仰せられて、吹かせ給ふは、いみじうめでたし。

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[現代語訳]

230段

一条の院を今内裏(いまだいり)という。帝がいらっしゃる御殿は清涼殿であり、その北の御殿に中宮はいらっしゃる。西と東は二つの殿をつなぐ渡殿で、帝が中宮の所へおでましになられる、また中宮が帝の所へ参上なされる通路でもあり、前は庭になっているので、植え込みの草木を植えて、めぐりに柵を結いつけ、とても風情がある。

二月二十日頃の、うらうらとのどかな日に、渡殿の西の廂(ひさし)で、帝がお笛をお吹きになられる。高遠の兵部卿が、帝のお笛の師としてついておられるが、二つの笛で一緒に高砂(たかさご)を繰り返し何度もお吹きになられるのは、やはり、非常に素晴らしいというのも世にありふれた物言いになってしまう。兵部卿がお笛のことを色々と言っている様子は、とても素晴らしい。私たちは部屋の御簾の下に集まってその様子をお見上げしている時は、「芹摘みし(中宮の御不遇)」などを憂う気持ちも覚えていられなくなる(忘れてしまう)。

藤原輔尹(ふじわらのすけただ)は、木工の允(もくのじょう)で、六位の蔵人(くろうど)になった人である。とても荒々しい人物でみんなに嫌われていたので、殿上人や女房が「あらはこそ」と渾名をつけたのを、歌に作って、「左右に人がいない乱暴者、尾張人の胤(たね)だから。」と歌うのは、尾張の兼時(かねとき)の女(むすめ)の腹として生まれたからである。

この歌を帝がお笛でお吹きになられるのを、お側近くに侍っていた時、「もっと、高い音でお笛を吹いてください。周りは聞きはしないでしょうから。」と申し上げると、「どうだろうか。そうはいっても聞かれて知られてしまうだろう。」と言って、密かに聞かれないようにお吹きになられているが、あちらの御殿からこちらにいらっしゃって、「あの者がいないぞ。ちょうど今、良いチャンスだから吹こう。」とおっしゃられて、お吹きになるのは、とても素晴らしいことである。

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[古文・原文]

231段

身をかへて、天人などはかうやあらむと見ゆるものは、ただの女房にて侍ふ人の、御乳母(おんめのと)になりたる、唐衣(からぎぬ)も着ず、裳(も)をだにもよう言はば着ぬさまにて、御前に添ひ臥し、御帳(みちょう)の内を居所にして、女房どもを呼び使ひ、局に物を言ひやり、文を取り次がせなどしてあるさま、言ひ尽くすべくもあらず。

雑色(ぞうしき)の蔵人になりたる、めでたし。去年(こぞ)の霜月の臨時の祭に御琴(みこと)持たりしは、人とも見えざりしに、君達(きんだち)と連れ立ちてありくは、いづこなる人ぞと、おぼゆれ。外よりなりたるなどは、いとさしもおぼえず。

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[現代語訳]

231段

生まれ変わって、天人などはこうであろうかと見えるものは、ただの女房でお仕えしている人で御乳母になって、唐衣も着ず、喪さえも言ってしまえば付けないような姿で、御前に寝そべって、御帳台の中を自分の居場所にして、女房たちを呼んで使い、局(自分の部屋)に用事を言いつけるために使いをだし、手紙を取り次がせなどしている有様で、その権勢は言葉で言い尽くすことができない。

雑色の蔵人になったのも、素晴らしい。去年11月の臨時の祭りに、琴を持っていたのは、身分がある人とも見えなかったのに(大した人物だとは見えなかったのに)、若い公達と連れ立って歩くのは、どこのお方なのだろうかと思ってしまうほど立派だ。他から蔵人になった人は、そんなに立派だとも思えない。

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