『枕草子』の現代語訳:118

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『九月二十日あまりのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家にとまりたりしに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

214段

九月二十日あまりのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家にとまりたりしに、いと苦しくて、ただ寝に寝入りぬ。夜ふけて、月の窓よりもりたりしに、人の臥したりしどもが衣(きぬ)の上に、白うてうつりなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人、歌詠むかし。

215段

清水などにまゐりて、坂本のぼるほどに、柴焚く香(しばたくか)の、いみじうあはれなるこそ、をかしけれ。

216段

五月の菖蒲(しょうぶ)の、秋冬過ぐるまであるが、いみじう白み枯れてあやしきを、ひきをりあけたるに、そのをりの香の残りてかかへたる、いみじうをかし。

217段

よくたきしめたる薫物(たきもの)の、昨日、一昨日、今日などは忘れたるに、ひきあけたるに、煙の残りたるは、ただ今の香よりもめでたし。

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[現代語訳]

214段

九月二十日過ぎの頃、初瀬寺(はせでら)にお参りして、とても小さな家に泊まったのだが、とても疲れていたので、ただぐっすりと眠り込んでしまった。夜が更けて、月の光が窓から漏れて入ってきたのに、人々が寝てかぶっている衣の上に、白く月の光が映っていた情景などは、とても素晴らしく趣き深いものであった。そのような時に、人はきっと歌を詠むのだろう。

215段

清水寺などにお参りして、坂本を上るあたりで、柴を焚く香りが、とてもしみじみと漂ってくるのが、面白い。

216段

五月の節句で使う菖蒲(しょうぶ)で、秋・冬を過ぎるまで残っているのが、ひどく白くなって枯れて見栄えが悪くなっているのを、その着物を開けてみたところ、当時の香りが残ったままであったのは、とても情趣を感じさせる。

217段

よく着物に焚きしめた薫物(たきもの)が、昨日か一昨日か今日かなどは忘れたが、着物を開けてみたところ、当時の煙の香りが残っているのは、今焚きしめたばかりの香りよりも素晴らしいものだ。

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[古文・原文]

218段

月のいと明き(あかき)に、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶などのわれたるやうに水の散りたるこそ、をかしけれ。

219段

大きにてよきもの

家。餌袋(えぶくろ)。法師。くだもの。牛。松の木。硯の墨。男の目の細きは、女びたり。また、金椀(かなまり)のやうならむも恐ろし。火桶。酸漿(ほおづき)。山吹の花。桜の花びら。

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[現代語訳]

218段

月がとても明るい夜、川を渡ると、牛が歩くのにつれて、まるで水晶などが割れたように水が散っていくのは、面白い。

219段

大きいほうが良いもの

家。餌袋(えぶくろ)。法師。くだもの。牛。松の木。硯の墨。男の目が細いのは、女性のようである。また、男の目が金椀(かなまり)のように大きくて丸いのも恐ろしい。火桶。酸漿(ほおづき)。山吹の花。桜の花びら。

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