『枕草子』の現代語訳:99

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『六位の蔵人などは、思ひかくべきことにもあらず。冠得て~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

172段

六位の蔵人などは、思ひかくべきことにもあらず。冠得て、なにの権の守、大夫などいふ人の、板屋などの狭き家持たりて、また、小檜垣(こひがき)などいふ物新しくして、車宿(くるまやどり)に車ひき立て、前近く、一尺ばかりなる木生して(おほして)、牛つなぎて草など飼はするこそ、いとにくけれ。

庭いと清げに掃き(はき)、紫革(むらさきがわ)して伊予簾(いよす)かけわたし、布障子(ぬのしょうじ)張らせて住まひたる、夜は、「門強くさせ」など、事行ひたる、いみじう生ひ先なう、心づきなし。

親の家、舅はさらなり、叔父、兄などの、住まぬ家、そのさべき人なからむは、おのづからむつましくうち知りたらむ受領(ずりょう)の、国へ行きていたづらならむ、さらずは、院、宮腹の、屋あまたあるに、住みなどして、司待ち出でて後、いつしかよき所尋ね取りて住みたるこそ、よけれ。

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[現代語訳]

172段

六位の蔵人(くろうど)などは、望むような官職でもない。五位の冠を得て、どこそこの権の守とか、大夫などと称する人が、板屋葺きの狭い家を持って、また、小檜垣(こひがき)などという大したことがない物を新しく設けて、車庫に車を引き入れて立て、その前の近くに、一尺ほどの木を植えて、それに牛をつないで草などを食べさせる様子は、とても憎たらしい(情けない)。

庭をとても綺麗に掃き清め、紫革で伊予簾をかけわたして、布障子を張らせて住んでいる。夜は、「門をしっかりと閉めよ」などと指示をしているのは、まったく先行きの見込みがなくて、気に入らないものである。

親の家や舅の家はもちろんだが、叔父や兄の家などで誰も住んでいない家、そういった然るべき頼れる身寄りのない人であれば、たまたま親しく知っている受領が、任国に赴いて無駄に空いている家とか、そうでなければ、院・宮様たちのたくさんあるお屋敷の家とか、とりあえずそういった家に一時的に住むなどして、良い官職を得てから、いつの間にか良い屋敷を探し出して住んでいる、こういうのが立派なやり方である。

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[古文・原文]

173段

女の一人住む所は、いたくあばれて、築土(ついひじ)などもまたからず、池などある所も、水草(みくさ)ゐ、庭なども、蓬(よもぎ)に茂りなどこそせねども、所々、砂の中より、青き草うち見え、さびしげなるこそ、あはれなれ。物かしこげに、なだらかに修理して、門いたくかため、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ。

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[現代語訳]

173段

女が一人で住む所は、ひどく荒れ果てて、築土塀(ついじべい)なども壊れていて、池などのある所でも、水草が生え、庭なども、蓬がぼうぼうに茂っているというほどではないが、所々、砂の中から青い草が見えていて、淋しげな景色には物悲しい風情があるものである。しっかりしている風に見えるように、見栄えよく家や庭を手入れして、門をきっちりと閉めて、乱れがなく秩序正しい様子は、とても退屈で面白くないものに思える。

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