『枕草子』の現代語訳:77

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『二月、官の司に定考といふことすなる、何ごとにかあらむ~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

128段

二月、官の司(つかさ)に定考(こうじょう)といふことすなる、何ごとにかあらむ、孔子など掛け奉りてすることなるべし。聡明とて、上にも宮にも、怪しき物のかたなど、土器(かわらけ)に盛りてまゐらす。

頭の弁(とうのべん)の御許より、主殿司(とのもづかさ)、ゑなどやうなる物を白き色紙に包みて、梅の花のいみじう咲きたるに付けて、持て来たり。ゑにやあらむと、急ぎ取り入れて見れば、餠餤(へいだん)といふ物を二つならべて包みたるなりけり。添へたる立文(たてぶみ)には、解文(げもん)のやうにて、

進上

餠餤一包

例に依りて進上如件(しんじょうくだんのごとし)

別当少納言殿

とて、月日書きて、「任那の成行(みまなのなりゆき)」とて、奥に、「この男(をのこ)は、みづからまゐらむとするを、昼は容貌(かたち)わろしとて、まゐらぬなめり」と、いみじうをかしげに書き給へり。

御前に参りて御覧ぜさすれば、「めでたくも書きたるかな。をかしくしたり」など、ほめさせ給ひて、解文は、取らせ給ひつ。

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[現代語訳]

128段

二月、太政官の役所で、定考(こうじょう)ということをするようだが、どういう行事なのだろうか、孔子の絵などをお掛けしてお祭りするものなのだろう。聡明といって、帝にも中宮にも奇妙な形の物などを、土器に盛り付けて差し上げる。

頭の弁の所から、主殿司が絵のようなものを白い色紙に包んで、梅の花が立派に咲いた枝に付けて持ってきた。絵だろうかと、急いで受け取って開けてみると、餠餤(へいだん)というものを二つ並べて包んであるのだった。添えている立文には、解文(げもん)のような書式の文章で、

進上

餠餤一包

例に依りて進上如件(しんじょうくだんのごとし)

別当少納言殿

と書いてあって、月日を書いて、署名は「任那の成行(みまなのなりゆき)」とあり、その奥に、「この男は自分自身で参上したいと思っていますが、昼は顔が悪いと思って参上しないようです」と、とても綺麗な文字・筆蹟で書いてある。

中宮の御前に参上して御覧に入れると、「とても立派な筆蹟で書いていますね。風情がありますね」などとお褒めになられて、解文はそのまま取っておかれた。

注:『餠餤(へいだん)』というのは、ガチョウ・カモの卵に野菜などをまぜて煮たものを餅(もち)で包んで四角に切ったものである。

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[古文・原文]

128段(つづき)

「返事(かえりごと)、いかがすべからむ。この餠餤(へいだん)持て来るには、物などや取らすらむ。知りたらむ人もがな」と言ふを聞しめして、「惟仲(これなか)が声のしつるを。呼びて問へ」と、のたまはすれば、端に出でて、「左大弁にもの聞えむ」と、侍(さぶらひ)して呼ばせたれば、いとよくうるはしくて来たり。

「あらず。私事(わたくしごと)なり。もし、この弁、少納言などのもとに、かかる物持て来るしもべなどは、することやある」と問へば、「さることも侍らず、唯とめてなむ、食ひ侍る。何しに問はせ給ふぞ。もし、上官のうちにて得させ給へるか」と問へば、「いかがは」と答へて(いらえて)、返事を、いみじう赤き薄様(うすよう)に、「みづから持てまうで来ぬしもべは、いと冷淡なりとなむ見ゆめる」とて、めでたき紅梅につけて奉りたるすなはち、おはして、「しもべさぶらふ、しもべさぶらふ」と、のたまへば、出でたるに、

「さやうの物、そらよみしておこせ給へる、と思ひつるに、美々(びび)しくも言ひたりつるかな。女の少し我はと思ひたるは、歌詠みがましくぞある。さらぬこそ、語らひよけれ。まろなどにさること言はむ人、かへりて無心(むじん)ならむかし」など、のたまふ。則光(のりみつ)、成康(なりやす)など、笑ひて止みにし事を、上の御前に人々いと多かりけるに、語り申したまひければ、「よく言ひたり」となむ、のたまはせし、と、また人の語りしこそ、見苦しき我ぼめども、をかし。

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[現代語訳]

128段(つづき)

「返事は、どのように書きましょうか。この餠餤(へいだん)を持ってきた場合には、使いの人に禄・贈り物を与えるべきなのでしょうか。これについての作法を知っている人はいないのかしら」と言うのをお聞きになって、「惟仲(これなか)の声がしていましたよ。呼んで聞いてみなさい」とおっしゃるので、部屋の端に出て、「左大弁に申し上げたいことがあります」と、侍の者に呼ばせた所、とても立派な身なりでやって来た。

「(威儀を正した服装をされていますが)公用ではありません、違います。私用です。もし、弁や少納言などの元に、このような物を届けてきた下僕(しもべ)などには、何か差し上げなくてはいけないのでしょうか」と聞くと、「そういうことはしなくても結構です。ただ受け取って食べるだけですよ。どうしてそのような事を聞くのですか。もしや、上官の誰かからお受け取りになったのですか」と聞いてくるので、

「いえいえ」と答えて、頭の弁への返事をとても赤い薄様に、「自分で持ってこないで下僕に持って来させるのは、とても冷淡な人だと思われてしまいますよ」と書いて、見事な紅梅に結びつけて差し上げたら、すぐにやって来られて、「下僕が参上致しました。下僕が参上致しました」と藤原行成がおっしゃるので、出てみたところ、

「あのような体裁の手紙なので、適当な歌でも詠んで寄越してきたのかと思っていましたが、本当に美しく立派な文章でした。女でわずかでも私には教養があると思っている人たちは、(それを鼻にかけて)すぐに歌を詠みたがるものですが。そうでない女のほうが、話していて良いものなのです。私などに歌を詠みかけてくるような女は、逆に風流を解さない無粋者なのです」などとおっしゃる。則光や成康などのような言い分ですが、遂には笑い話になってしまったこの件を、頭の弁が藤原行成の周りに大勢の人がいる時に話してみたところ、「上手い返事をしたものだな」と行成がおっしゃったと、他の人が私に教えてくれたのだが、見苦しい自画自賛の話というのは、おかしなもの(滑稽なもの)である。

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