『枕草子』の現代語訳:24

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

36段

節(せち)は、五月にしく月はなし。菖蒲(しょうぶ)、蓬(よもぎ)などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重御殿の上をはじめて、言ひ知らぬ民の住家まで、いかで、わがもとに繁く葺かむ(ふかん)と、葺きわたしたる、猶いとめづらし。いつかは、異折(ことをり)に、さはしたりし。

空のけしき、曇りわたりたるに、中宮などには、縫殿(ぬいどの)より、御薬玉(おくすだま)とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳(みちょう)立てたる母屋(もや)の柱に左右に付けたり。九月九日の菊を、あやしき生絹(すずし)の衣(きぬ)に包みて参らせたるを、同じ柱に結ひ付けて、月ごろある、薬玉に取り替へてぞ捨つめる。また薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されどそれは、皆、糸を引き取りて、物結ひなどして、しばしもなし。

御節供(ごせっく)まゐり、若き人々、菖蒲の刺櫛さし、物忌付けなどして、さまざま、唐衣(からぎぬ)、汗衫(かざみ)などに、をかしき折枝ども、長き根にむら濃(むらご)の組して結び付けたるなど、珍しう言ふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。

[現代語訳]

36段

節供(節句)は、五月五日に及ぶものはない。菖蒲や蓬などが共に香り高く香っている様子は、とても趣きがある。禁中の御殿の軒をはじめとして、誰とも分からない一般民衆の家に至るまで、どうにかして自分の家に多くの茅を葺こうとして、人々が葺きわたしている様子は、何度見てもとても新鮮な光景なのである。いつ、他の節句の時期に、そんなことをしたことがあるだろうか。

空の様子は一面に曇っているが、中宮の御所では中宮御用の薬玉ということで、縫殿から色々な色の糸を組んで垂らした薬玉を献上するのだが、御帳台を立てた母屋の柱の左右にそれを掛けておく。去年九月九日の節句の菊を、粗末な生絹の切れに包んで献上したのだが、それを母屋の同じ柱に結びつけていたので、薬玉と取り替えて捨ててしまう。またこの薬玉は、次の九月九日の節句で菊を供える時まで、このまま保存しておくのだろうか。しかし薬玉は、みんながその糸を引っ張って、他の物を結びつけたりするのに使うので、すぐに無くなってしまう。

中宮に節供の午前を差し上げて、女房たちは菖蒲の刺櫛をさし、物忌をつけたりして、唐衣(からぎぬ)や汗衫(かざみ)などにはそれぞれ工夫して作った折枝をつける、長い菖蒲の根に紫と白のまだらな組糸で結びつけていくのである。これはま珍しい行事として言い立てることではないけれど、非常に風情がある。いつものことだからといって、毎年の春に咲く桜の花をどうでもいいという風に思う人がいるだろうか、いや、そんな人はいないのだ。

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[古文・原文]

36段(終わり)

土ありく童(わらわべ)などの、ほどほどにつけては、いみじきわざしたりと思ひて、常に袂まぼり、人のにくらべなど、えも言はずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童(こどねりわらわ)などに引きはられて泣くも、をかし。

紫の紙に樗(おうち)の花、青き紙に菖蒲の葉、細く巻きて結ひ、また、白き紙を根にしてひき結ひたるも、をかし。いと長き根を文(ふみ)の中に入れなどしたるを見るここちども、いと艶(えん)なり。返事書かむと言ひ合はせ、かたらふどちは、見せかはしなどするも、いとをかし。人の女(むすめ)、やむごとなき所々に、御文など聞え給ふ人も、今日は心異(こころこと)にぞなまめかしき。夕暮のほどに、郭公(ほととぎす)の名のりしてわたるも、すべていみじき。

[現代語訳]

36段(終わり)

外を歩き回っている子供たちが、自分がとてもお洒落をしていると思い込んで、常に飾り立てた袂を見守って、他の子の袂と見比べたりもしている。子供たちが自分の服装が何とも言えないほどに素晴しいと思っているところに、側に仕えている小舎人童から引き取られていって泣いているのも面白い。

紫の紙に樗の花を包んだり、青い紙に菖蒲の葉を細く巻きつけて結んだり、また白い紙を菖蒲の白い根で引き結んだりしたのも、趣きが感じられる。非常に長い菖蒲の根を手紙の中に入れたりしている様子を見る女房たちの気持ちも、とても華やかで賑やかなものである。その返事を書こうと思って相談し合い、仲の良い人たちはお互いの手紙を見せ合ったりしているが、その様子もとても面白い。さる高貴なお人の娘であるとか、高貴な方々の所へと中宮が手紙を送られるのだが、その手紙を書く女房たちも普段とは違って優雅で華やかな気持ちなのである。夕暮れの頃、郭公(ほととぎす)が名乗るようにして鳴いて通り過ぎていくのも、この日は何もかもが素晴らしい事のように感じるのだ。

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