『徒然草』の105段~108段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の105段~108段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第105段:北の屋陰に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ。

かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂ひのさと薫りたるこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。

[現代語訳]

家の北側の陰に消えずに残っている雪が、ひどく凍り付いているが、近く寄せている牛車の轅(牛をつなぐための棒)にも、霜が降りて煌めいている。明け方の月が、まだ明るくかかっているが、その月もやがて日光で微かに消えていくだろう。人里離れた御堂の廊下に、並みの人物ではないように見える立派な男と女が並んで長押(木材)に腰掛けて、何かを話している。二人は何を話しているのだろうか、物語が尽きる事はない。

女は顔・かたちが美しく、風にふと香る女の着物の香の薫りも、何ともいえない心地よさである。途切れ途切れに聞こえてくる声も趣きがある。

[古文]

第106段:高野証空上人(こうやの・しょうくうしょうにん)、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曵きける男、あしく曵きて、聖の馬を堀へ落してげり。

聖、いと腹悪しくとがめて、『こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり』と言はれければ、口曵きの男、『いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね』と言ふに、上人、なほいきまきて、『何と言ふぞ、非修非学の男』とあららかに言ひて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

尊かりけるいさかひなるべし。

[現代語訳]

高野山の証空上人、京へ上る途中の細道で、女を乗せた馬と行き違ったが、女の馬の口取りの男の引き方が悪くて、上人の乗っていた馬を堀へ落としてしまった。

馬を落とされた上人は、激しく怒って口取りの男をとがめた。『これはあってはならない無礼な狼藉だぞ。四部の弟子というのは、比丘(出家した男性信者)よりは比丘尼(出家した女性信者)は劣り、比丘尼より優婆塞(在家の男性信者)は劣り、優婆塞より優婆夷(在家の女性信者)は劣る。そのように低い身分の優婆夷であるのに、高い身分の比丘の馬を堀へ蹴入れさせるとはいまだかつてない悪しき行いである』と。

(仏教の信仰について詳しくない)口取りの男は『なにを仰られているのか、良くわかりませんが』と答えたが、上人は更に怒って捲し立てた。『何を言うか、仏道を修める気もなく、学問もしていない無教養な男めが!』と。ここまで荒々しく罵った後に、ふと上人はこの上ない粗暴な暴言を言ってしまった(高僧という自分の立場も忘れて心無いことを言ってしまった)という気まずい顔をした。そしてそのまま、馬に乗ると逃げてしまった。

尊い言い争いであった。

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[古文]

第107段:『女の物言ひかけたる返事(かえりごと)、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ』とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる』と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、『数ならぬ身は、え聞き候はず』と答へられけり。堀川内大臣殿は、『岩倉にて聞きて候ひしやらん』と仰せられたりけるを、『これは難なし。数ならぬ身、むつかし』など定め合はれけり。

すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。『浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ』と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの)左大臣殿は、『あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるる』とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

かく人に恥ぢらるる女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず。ただ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思えば、その事、跡より顕はるるを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。ただ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

[現代語訳]

『女が言いかけた質問に、とりあえずでも良い返事をする男は稀なものである』とか言いあっている。亀山天皇の御代に、御所で愚かな女房どもが、若くて身分の高い男が参られる度に、『うぐいすの声を聞きましたか』などと聞くと、ある若い大納言やらが、『物の数にも入らない身(大した身分もない自分)には聞こえませんでした』と答えていた。

堀川内大臣殿が『岩倉にて聞きましたよ』とおっしゃっているのを聞いて、『それは素晴らしい。大した身分でないということは嫌なものだ』などと批評し合われた。すべての男は、女に笑われないように育て上げるべきかと。『浄土寺の前関白殿(九条師教)は、幼少期から安喜門院(藤原有子)がよくお教えになられていたので、言葉づかいがとても良い』と、人がおっしゃっているとか。

山階左大臣殿は、『下女に見られてるのすら、とても恥ずかしくて気遣いしてしまう』とおっしゃられた。女のいない男だけの世界になれば、着こなしも冠も、どうでも良いものだ。衣服の乱れをひき繕う人もなくなるだろう。男に恥じらいを感じさせる女というものは、どんなに凄いものなのかと思うが、女の本性はみんな、僻みやわがままで、貪欲であり、物の道理を知らない。ただ、煩悩の迷いの方にばかり心は速く移ってしまう。

言葉は巧みな癖に、男が質問した時には、大したことではないのに何も答えなかったりする。何か深い考えでもあるのかと見ていると、気が向けばどうでも良い事まで、尋ねもしないのに語り始める。深く相手をだまして飾り立てる事は、男の智恵にも勝るかと思うが、意外に後でばれてしまうことを知らない。素直でなくて拙いものは、女である。

その女の心に従って良く思われようとする事は、気持ちが重くなることでもある。ならば、どうして女に気を遣わなければならないのか。もし人格と教養に秀でた賢女がいれば、それはそれで親しみがもてないし、何の魅力も感じられない。ただ、迷いに駆られて女に従うのであれば、女を優美なものとして、興趣ある存在として思うことができるだろう(完璧な欠点のない才女だったり、冷静な男の自分だったりすれば、女の妖艶で不思議な魅力というのは無くなってしまうのだ)。

[古文]

第108段:寸陰(すんいん)惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。

されば、道人(どうにん)は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩(ぎょうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて(わたりて)、一生を送る、尤も愚かなり。

謝霊運(しゃれいうん)は、法華の筆受なりしかども、心、常に風雲の思を観ぜしかば、恵遠、白蓮(びゃくれん)の交りを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。

[現代語訳]

僅かの時間(瞬間)を惜しむ者はいない。これは惜しむ必要がないと知っているのか、あるいは愚かで惜しむ必要があることを知らないのか。愚かで怠けている人のために言えば、一銭(わずかなカネ)は軽いが、これを積み重ねていけば、貧しき人を富む人にしてしまう。商人の一銭を惜しむ心は切実である。一瞬のことなど覚えていないと言っても、瞬間が時間を運び去る事をやめないならば、最期の死の瞬間はたちまちやってくるだろう。

道を求める仏教者(修行者)は、長い月日を通して勤めることを惜しむべきではない。ただ今の一念によって、空しく時間を過ごすことを惜しまなければならない。もし、人がやって来て、自分の命が明日には失われると宣告されたら、今日一日が終わるまで、何をあてにして、何をしようとするだろうか。我らが生きる『今日の日』とは何か、今日死んでしまうと宣告されたその貴重な時節に他ならないのだ。

一日のうちに、飲食・排便・睡眠・会話・移動など、やむを得ないやらなければいけない事柄で無駄にする時間は多いのだ。何とか無駄を逃れたとしても、余った時間に無駄な事をしたり、無駄な事を言ったり、無駄な事を考えるのであれば愚かだ。一日はたちまち終わってしまい、月は変わって、一生を終えることになるだろう。

中国六朝時代の詩人・謝霊運は、法華経の中国語訳を行ったが、常に風流を楽しむ気持ちを抱いていたので、東晋の僧侶・恵遠は、念仏修行で浄土に行こうとする白蓮社との交流を許さなかった。一瞬を惜しんで努力する心のない者は、死んでいるも同然である。

どうして光陰(時間)を惜しむのかというと、内面に深く思い悩むことがないようにして、外部には俗世の雑事がないようにするためである。そして、悪事をやめようとするものはやめて、善行を為そうとする者はなせということのためでもある。

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