『徒然草』の101段~104段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の101段~104段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第101段:或人、任大臣(にんだいじん)の節会(せちえ)の内辨(ないべん)を勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。極まりなき失礼なれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記(ろくいのげき)康綱(やすつな)、衣被き(きぬかずき)の女房をかたらひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。

[現代語訳]

ある貴族が、大臣の任命を行う儀式の司会役(取り仕切り役)を勤めたが、詔勅・宣命を作成する内記(中務省の役人)の宣命書を受け取らないまま、紫宸殿に昇殿してしまった。大変な失態ではあるけれど、既に儀式は進行しており、今さら取りに戻るわけにもいかない。どうしようかと思い悩んでいると、外記の康綱が衣を被った女官と相談して、その女官に宣命書を持たせてそっと手渡すように取り計らってくれた。(六位という低い位階にも関わらず)康綱のとても素晴らしい機転である。

[古文]

第102段:尹大納言(いんのだいなごん)光忠卿(みつただきょう)、追儺(ついな)の上卿(じょうけい)を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、『又五郎男を師とするより外の才覚候はじ』とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。

近衛殿著陣し給ひける時、軾(ざっき)を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、『先づ、軾を召さるべくや候ふらん』と忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。

[現代語訳]

尹大納言の源光忠は、朝廷の鬼やらいの儀式の責任者に任命されて、洞院右大臣殿(洞院公賢)に儀式の次第について尋ねた。『又五郎という優れた才覚を持つ男を師とする以外の手はないだろう』と右大臣は答える。その又五郎は老いた門番であったが、宮中の儀式には良く慣れていた。

近衛殿が所定の位置に着座した時、光忠卿は、下級役人が控えるべきゴザの準備を忘れて、下級役人を呼び寄せてしまった(このままでは下級役人たちは直接地面に座ってしまうことになる)。庭でたき火をしていた又五郎は光忠卿の側に寄り、『まずはゴザをご用意なさいませ』と静かにつぶやいた。(外記と軾の音の類似が)非常に面白かった。

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[古文]

第103段:大覚寺殿にて、近習(きんじゅう)の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明(きんあきら)卿、『我が朝の者とも見えぬ忠守かな』と、なぞなぞにせられにけるを、『唐医師(からいし)』と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出で(まかりいで)にけり。

[現代語訳]

大覚寺で、法王の近くに仕える側近たちがなぞなぞを作って解いているところに、忠守という医師が通りかかった。さっそく侍従大納言の公明卿が『我が朝の者とも見えぬ忠守かな?』となぞなぞにした。『朝廷の者に見えない忠守とは、中国出身の医師である唐医師ですか』と言って笑い合うので、忠守は腹を立てて退出した。

[古文]

第104段:荒れたる宿の、人目なきに、女の、憚る事ある比にて、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女の、出でて、『いづくよりぞ』と言ふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若やかなるして、『こなた』と言ふ人あれば、たてあけ所狭げなる遣戸(やりど)よりぞ入り給ひぬる。

内のさまは、いたくすさまじからず。心にくく、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなしたり。『門よくさしてよ。雨もぞ降る、御車は門の下に、御供の人はそこそこに』と言えば、『今宵ぞ安き寝は寝べかめる』とうちささめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。

さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来し方・行末かけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるるにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙(ひま)白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青み渡りたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るるまで、今も見送り給ふとぞ。

[現代語訳]

人目のない田舎の荒れた家に、世にはばかる事があって隠れ住む女がいた。ある人が女のお見舞いに行こうと、月がうっすらと浮かぶ夕方に、ひっそりと女の屋敷を訪ねた。犬がおおげさに吠えるので、屋敷から下女が飛び出して来て『どちらから?』と聞いてくる。その下女に案内をしてもらい屋敷に入った。屋敷の物さびしい様子を見て『どうやって生活しているのだろうか?』と切ない気持ちになった。床が傷んだ廊下でしばらく待っていると、やがて落ち着いた若々しい声で『こちらへ』と呼ぶ人がいて、小さな引き戸を開けて部屋の中に入ると、部屋の中の様子は、そんなに荒れ果てているわけでもない。

奥ゆかしく、燈火がほのかにあたりを照らしており、物も美しく輝いて見える。いま焚いたばかりではない香の薫りがふんわりと漂っている。『門を良く閉じよ。雨が降る。牛車は門の下に。供の人はそこそこへ』と女が指示を出しており、『御主人様も、今夜は安眠できそうですね』と忍びやかに下女らがささやく声が、ほのかに聞こえてくる。

さて、細々とした最近の話などをしていると、夜遅くまで寝ているはずの一番鶏が鳴いた。やがて、過去の出来事やこれからの行く末について女が話しているうちに、鶏たちが騒ぎ始めたので、『夜明けが近いのですね?』と聞いた。まだ暗いうちに人目を忍んで急いで帰らなくてはいけない場所でもないので、もうしばらく居ようと別れを惜しんでいる間に、扉の隙間から光が差し込んできた。忘れずに女に伝えたかった事などを話して部屋を出ると、木々の梢も庭も青く染まっていた、四月の明け方である。そのある人は、優雅で風情があったその日のことを思い出して、その辺をお通りになる時には、女の家にある桂の大きな木が見えなくなるまで今でも見送るのだという。

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