『徒然草』の62段~65段の現代語訳

スポンサーリンク

兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の62段~65段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第62段:延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、歪み文字とぞ君は覚ゆる

恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

[現代語訳]

延政門院(出家した後嵯峨天皇の皇女・悦子内親王)が、幼少の折に、院(御所)へ参上する人に言伝を頼んでお詠みになったお歌。

ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、歪み文字とぞ君は覚ゆる

後嵯峨天皇のことを恋しく思っていらっしゃる気持ちが詠まれている。

一読すると意味不明な章なのだが、悦子内親王が読んだ歌は『言葉遊びのパズル』のようなものになっている。和歌にある『ふたつ文字』は平仮名の『こ』、牛の角文字は『い』、まっ直ぐな文字は『し』、ゆがみ文字は『く』を意味しており、それらを合わせると『こいしく(恋しく)』になるわけである。

[古文]

第63段:後七日(ごしちにち)の阿闍梨(あじゃり)、武者を集むる事、いつとかや、盗人にあひにけるより、宿直人(とのいびと)とて、かくことことしくなりにけり。一年の相は、この修中のありさまにこそ見ゆなれば、兵(つわもの)を用ゐん事、穏かならぬことなり。

[現代語訳]

一月八日から天下太平・五穀豊穣・国家繁栄を祈願して大内裏で行われる『後七日』の行事に、宿直人と言う武者が配置されるようになったのは、いつからだろうか。『後七日』を指導なされる阿闍梨の指示ということだが、昔、行事の最中に盗人が侵入したことがあり、このような物々しい警備になったようだ。今年一年の情勢・吉兆を占うとされる後七日の儀式に、武装した兵士を配置しているのは、穏やかではないことである(兵乱の予兆にも成りかねない不吉なことである)。

スポンサーリンク

[古文]

第64段:「車の五緒(いつつお)は、必ず人によらず、程につけて、極むる官・位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。

[現代語訳]

『豪華な五緒の飾りを垂らした牛車は、必ずしも(身分に関係なく)優れた人が乗るというものではない。その家柄に従って、極められるまで官(役職)や位(身分)を極めた者が、乗るものなのである』と、ある人がおっしゃっていた。

[古文]

第65段:この比(ごろ)の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の冠桶(かんむりおけ)を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。

[現代語訳]

この頃の冠は、昔よりはるかに高くなった。だから、昔の冠入れ(冠を入れるケース)を持っている人は、箱の端っこを継ぎはぎして、今でも使っているのだ。

スポンサーリンク
Copyright(C) 2004- Es Discovery All Rights Reserved