『徒然草』の31段~34段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の31段~34段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

31段.雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

[現代語訳]

雪が趣深く降り積もった朝、ある人の元に伝えることがあって手紙を送ったのだが、その手紙の返事には昨晩から降り続いている雪のことが全く触れられていなかった。

その雪に感じる興趣のない返事に対して、「この雪をどのように見るのかについて、一言も書かないようなひねくれ者の言う事を聞き入れても良いものだろうか。かえすがえすも残念な気持ちです」と言っているのが面白かった。

今は亡き人のエピソードであるから、こんな事でも忘れることができない。

[古文]

32段.九月廿日(ながつきはつか)の比(ころ)、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。

その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

[現代語訳]

九月二十日の頃、ある人に誘われて夜明けまで月を見て歩いた。ある人が思い出した場所があるということで、私に案内させて、その家の中に入っていった。荒れた庭の生い茂る植物には露が降りており、周囲にはわざとではない焚き物の香りが漂っていて、忍びながら話している気配が非常にしみじみとした情趣を醸している。

適当な時間にある人はおいとまされたのだが、まだこの家に住んでいる女性の姿が優美に感じられて、物陰からしばらく見ていた。その女性は妻戸を少しだけ開いて、月を見ている様子だった。すぐに引きこもって戸締まりをしてしまっていたら、残念な気持ちになっただろう。(その家の女性は)まさか客人が帰った後にも自分を見ているなどとは思いもかけなかっただろう。こういった幸運は、ただ、常日頃の心がけによるものだ。

その人は、間もなく亡くなられたと聞いている。

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[古文]

33段:今の内裏作り出されて、有職(ゆうそく)の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸(せんこう)の日近く成りけるに、玄輝門院(げんきもんいん)の御覧じて、「閑院殿の櫛形(くしがた)の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

これは、葉の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

[現代語訳]

新しい内裏が作られて、古来の建築様式を知る有職の方々に見てもらったところ、どこにも問題はないということで、花園天皇が新内裏に移る「遷幸の日」も近づいていた。しかし、花園天皇の祖母の玄輝門院が新内裏を御覧になって、「かつての閑院殿では、覗き窓の形が丸くて、ふちもないようだったのですが」と仰られたという。(その記憶力と情趣は)素晴らしいことだ。

この新しい覗き窓には、切り込みが入っており、木で周りに縁を作っていたのだが、これは伝統建築の誤りだったとして、直されることになった。

[古文]

34段:甲香(こうこう)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり。

武蔵国金沢といふ浦にありしを、所の者は、「へなだりと申し侍る」とぞ言ひし。

[現代語訳]

練香のお香の材料となる「貝香(かいこう)」は、ほら貝のようであるが、小さくて口のあたりが細長く突き出た貝の蓋である。

武蔵国の金沢という浦にもあったのだが、近所の者は「へなたりと申します」と言っていた。

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