『荘子(内篇)・斉物論篇』の17

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(続き)

昔は荘周(そうしゅう)、夢に胡蝶(こちょう)と為れり。ひらひらと舞って胡蝶なり。自ら喩しみて(たのしみて)志に適えるかな。周たるを知らざるなり。俄然として覚めれば、まぎれもなく周なり。周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを知らず。周と胡蝶とは則ち必ず分かれあり。此を之(これをこれ)、物化(ぶっか)と謂う。

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[現代語訳]

昔、荘周は、夢の中で胡蝶になっていた。ひらひらと舞う胡蝶である。胡蝶になった状態を自ら楽しんで心ゆくまで舞っていた。自分が周であることを忘れていたのである。ハッとして目覚めると、自分が紛れもない周であることに気づく。しかし、周の夢の中で胡蝶となっているのか、胡蝶の夢の中で周となっているのかは分からない。現実世界では、周と胡蝶との間には必ず区別があるとされる。しかし、周が胡蝶であり、胡蝶が周でもある無分別の相対的な境地、これを「物化」というのである。

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[書き下し文の解説]

斉物論篇 第二(つづき)

この斉物論篇の最後に位置づけられている「胡蝶の夢」は、「荘子」全体の中でももっともポピュラーなものです。「胡蝶の夢」ということわざのような慣用句を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。荘周という人物が夢の世界で「胡蝶」になっていて、ひらひらと自由に舞う境地を十分に満足するまで楽しむという話です。夢の中で「胡蝶」になって楽しんでいる間は、自分が「荘周」であることを綺麗に忘れているのです。

何かの拍子にふと目が覚めると、自分が「胡蝶」ではなく「荘周(人間)」であったことを思い出すことになります。しかし、改めて考えてみると「人間である荘周が胡蝶の夢を見ている」のか、「昆虫である胡蝶が荘周の夢を見ている」のかを明確に区別することはできないと気づくのです。この「荘子」のお話は、「客観的な現実とは何なのか?」や「私は一体誰なのか?」といった哲学の基本的な問いを分かりやすい寓話によって提示したものであると解釈することができるでしょう。

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[現代語訳]



[解説]

世間一般の揺らがない常識としては、「人間である荘周が胡蝶の夢を見ていたこと」だけが「客観的な現実」とされます。人間にしか「夢」を見ることはできない、あるいは胡蝶(虫)には「自我・自意識・知性」はないという常識の前提があまりに強固だからです。しかし、「荘子」においては「夢と現実の厳密な区別はできないこと」が前提になっています。「ある夢が現実ではないこと+ある現実が夢ではないこと」を確実なかたちで証明したり保証したりすることはできないとされるのです。

「荘子」の「胡蝶の夢」におけるこの「相対主義的な考え方の持つメリット・効果」はどこにあるのでしょうか。それは「常識的な物事の分別・定義の限界」をブレークスルーすることで、「自由無碍に変化する世界」の中で「とらわれる悩み」が無くなることにあります。自我と他我、人間と動物(虫)、夢と現実が自由自在に変化し合う世界というのが、「物化」の世界なのです。「物化」というのは、「今の時点において与えられた現実・境遇・価値観をことさらに否定する必要のない境地」でもあります。

つまり、人間の荘周としての自意識であれば、人間の荘周としての生を思う存分に生きれば良い。逆に、胡蝶としての自意識なのであれば、胡蝶としての生を心ゆくまで楽しめば良いというのが、「胡蝶の夢」の示唆する「絶対的肯定の境地(物化の境地)」になります。人間であっても動物や虫であっても、はたまた死体となっても、「現在の自己存在・境遇を肯定して受け入れること」で一切の悩み・迷いは消え去ることになります。真に自由な人間存在になるためには、「万物流転・諸行無常・一切肯定」を包摂する「物化」に到達することが重要なのです。

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荘子(生没年不詳,一説に紀元前369年~紀元前286年)は、名前を荘周(そうしゅう)といい、字(あざな)は子休(しきゅう)であったとされる。荘子は古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然・一切斉同』を重んじる超俗的な思想家であり、老子と共に『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成した。孔子の説いた『儒教』は、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な政治思想の側面を持つが、荘子の『老荘思想』は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想である。

『荘子』は世俗的な政治・名誉から遠ざかって隠遁・諧謔するような傾向が濃厚であり、荘子は絶対的に自由無碍な境地に到達した人を『神人(しんじん)・至人(しじん)』と呼んだ。荘子は『権力・財力・名誉』などを求めて、自己の本質を見失ってまで奔走・執着する世俗の人間を、超越的視座から諧謔・哄笑する脱俗の思想家である。荘子が唱えた『無為自然・自由・道』の思想は、その後の『道教・道家』の生成発展にも大きな影響を与え、老子・荘子は道教の始祖とも呼ばれている。荘子は『内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇』の合計三十三篇の著述を残したとされる。

参考文献
金谷治『荘子 全4冊』(岩波文庫),福永光司・興膳宏『荘子 内篇』(ちくま学芸文庫),森三樹三郎『荘子』(中公文庫・中公クラシックス)

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