自己愛性パーソナリティー障害(Narcissistic Personality Disorder)

[目次]
自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の特徴と自己愛的憤怒(narcissistic rage)

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)に多い社会的・対人的トラブルと受診のきっかけ

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の原因

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の対応・治療・カウンセリングのポイント

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人の外見的な特徴・顔つき

DSM-5による自己愛性パーソナリティー障害の診断基準

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自己愛性パーソナリティー障害(Narcissistic Personality Disorder)と精神分析の理論による自己愛の解釈・治療方針(別ページ)

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の特徴と自己愛的憤怒(narcissistic rage)

自己愛性パーソナリティー障害の精神分析的な解釈のページでは、自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の以下の『3大特徴』を挙げた上で、虚勢を張って強気に振る舞うNPDの人が持つ『表面的・外見的な強さ』『本質的・内面的な弱さ』の二面性を説明しました。

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自己愛性パーソナリティ障害は、表面的な『自己愛の強さ・傲慢な対応・自信満々な態度』はありますが、その本質は『ありのままの自分(等身大の自分)』を愛せないというパーソナリティー障害です。『傷つきやすい自己愛』を守るために『誇大的自己のイメージ』で虚勢を張って自己防衛しているわけですが、その誇大的自己は『自分は万能で特別な存在であるという自己洗脳』によって支えられています。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分を実際以上に素晴らしい存在に見せかけ、それによって作られた『虚像・虚勢の誇大自己像』を職場・家庭・交遊関係などの周囲の人々に無理やりにでも認めさせようとしてトラブルになることが多くあります。自己愛性パーソナリティ障害の見せかけの誇大的自己の背景には『強い劣等コンプレックス・基本的信頼感の欠如・自己無価値感(空虚感)』があり、そういった自己愛・自尊心・自信を崩してしまう要素に目を向けないでいられるように、自分は特別な存在であると自己暗示をかけて虚勢を張っているところがあります。

自己愛性パーソナリティ障害の人は傷つきやすい自尊心や自己評価を、『自分が万能で特別な存在であると思い込む自己暗示・他者から賞賛や高い評価を得ること・弱者を見下して否定して支配すること(モラルハラスメント・DVの一因)』によって何とか支えているのです。そのため、常に周囲にいる人たちからの『賞賛・承認・愛情・注目』を際限なく求め続けなければならない、自分だけでは自分の自我・自尊心を支えられない脆弱な心理状態に追い込まれていると言えます。

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の学術的な研究の歴史は、性格の鎧・性の解放を唱えた異色の精神分析家ウィルヘルム・ライヒ『男根期的自己愛性格(1933年)』に始まると言われています。男根期(phallic stage)はジークムント・フロイトのリビドー発達論で肛門期(強迫性格)の次に位置づけられる発達段階であり、自己主張や承認欲求、自慢の欲求が高まりやすいとされています。

ウィルヘルム・ライヒは男根期的自己愛性格の特徴について、『傲慢不遜・自己確信的(自信家)・自慢する・活発で行動力がある・弾力的に適応する・精力旺盛(エネルギッシュ)』などを上げていて、今日の自己愛性パーソナリティー障害の歴史的原型の一つと考えられています。W.ライヒはこの男根期的自己愛性格を、ヒステリー性格と強迫性格に続く『第三の神経症的性格』として位置づけました。

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人は実際の自分よりも素晴らしい自己像に酔う『誇大的自己(ある種の誇大妄想が加わって実像よりも大きくなった自己像)』を抱えており、その誇大的自己が『自分は人とは違う特別な存在である・自分は誰よりも優れている』といった“自己の特別視”の認知傾向を生み出しています。自己愛性パーソナリティー障害の自己の特別視(私は並の人間とは違う特別に優れた存在である)は、『自分の過大評価+他者の過小評価』にもつながっていて、自分の仕事や能力、魅力をみんなが褒めてくれたり尊敬してくれることが当たり前と思い込んでいるのです。

自己愛性パーソナリティ障害の特徴である『自己の特別視』は他人から特別に優れた人間として見られたいという欲求を伴いますから、必然的に他人が自分を高く評価しているかどうかという『他者の評価に対する過敏性』を持つことになります。他者の評価に敏感で賞賛・崇拝されて高く評価されることを常に求めているので、『自分を特別な存在と思わせてくれるちやほやして誉めてくれる相手(ご機嫌取りをしてくれて自分と競い合わない相手)』とは相性が良くて、機嫌よく付き合うことが多くなります。

自己愛性パーソナリティー障害の人は、自分一人の活動や体験・思考の整理だけでは『自分の存在価値』を感じることができないので、『一人で過ごす時間』があまり好きではなく、常に『他人からの賞賛・評価・保証(持ち上げ)』を求めています。野心的であり際限のない理想・成功・才覚・快楽の夢想的な追求をしていますが、地道にコツコツと努力することはあまり得意ではなく、短期間で破格の成功や名声を得たいというご都合主義の考え方をしやすいところがあります。

しかし、NPDの人は『自分は並の人間ではない特別な存在である』と自己定義しているので、簡単に短期間で大きな成功をすることも、他人には有り得ないことだろうが、完璧な自分ならできるはず(できないほうがおかしい)という身勝手な妄想を抱いていることが多いのです。そして思い通りに事が運ばずに失敗したり挫折したりした時には、『自分の能力不足・間違いや未熟さ』を反省するのではなく、『他人・社会』のほうがおかしくて間違っているという他罰的な方向に考えを進めやすくなります。

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自己愛性パーソナリティ障害の人は『自分の話題・自分の自慢話・他人の否定』が多い傾向があり、『自分の評価と関係しない他人の話題や成功(特に自分より優れているように感じる他者の話)』などには殆ど興味関心を持たず耳を傾けようとはしません。自己愛性パーソナリティ障害は『完全主義・誇大的自己(高い基準の特別な自己・理想自己)』を持っているので、自分のミスや間違い、落ち度を基本的には認めず、自分に注意や指摘、否定をしてくる相手には強い敵意と怒りを向ける傾向があり、対抗的な他人と譲歩して折り合いをつけることも嫌います。

1970年代初頭、『自己愛性パーソナリティー障害』という名前を初めてつけたのは、自己愛理論を提唱したハインツ・コフートと言われていますが、H.コフートは妄想的な誇大自己を露呈してくる自己愛性パーソナリティー障害の基本感情として『自己愛的憤怒・自己愛的怒り(narcissistic rage)』を上げています。自己愛的憤怒は、他に『自己愛的憤り』という日本語表記をされることもあります。

誇大的自己の強い自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分を特別な存在であると思い込み、他者の評価や賞賛の有無に敏感になりながら、『限りない成功・権力・才気・美しさ・理想の愛』などを求めています。そういった自己の特別視によって『自分と対等な他者』は存在しなくなっており、『他人は自分を特別扱いして褒めたりちやほやしたりして当たり前』というように思っていることが多いのですが、これは他人を人間扱いしないという『共感性の欠如・想像力の弱さ』にもつながっています。

家族であれ夫婦(恋人)であれ親友であれ、重度の自己愛性パーソナリティー障害の人にとっては『愛情・思いやり・親しみ』を本心から向けて尽くすような対象では有り得ず、自分が承認欲求・自尊心・見栄を満たして楽しむために使用する『道具・モノ』のような位置づけに近くなります。

だから相手の立場に立って考えることができず、一切の思いやりや奉仕の心がない重度の自己愛性パーソナリティー障害になると、相手が自分の思い通りに賛成したり賞賛(尊敬)したりしてくれないと、途端に不機嫌になって相手の人格を否定する酷い発言をしたり、暴力的・威圧的(モラハラ的)な態度で相手を無理やりにでも従わせようとすることがあります。

他者からちやほやされず賞賛や承認が得られない時、自分の存在・能力が軽視されたり無視された時、あるいは他の誰かから批判・反対・否定を受けた時に、自己愛性パーソナリティ障害の人は不機嫌さを一気に通り越して、自己愛が傷つけられた事に我慢できず激しく憤慨したり激怒したりする『自己愛的憤怒・自己愛的憤り(narcissistic rage)』を見せることがあります。

この自己愛的憤怒(自己愛的怒り・憤り)は非常に激烈なもので主観的な本人の苦しみも伴うのですが、重症度が高いと自己制御できないケースもあり、最悪の場合には『自傷他害のリスク(自分をバカにした相手への殺傷事件・自己嫌悪や抑うつからの自殺念慮)』が生じてしまいます。

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自己愛性パーソナリティー障害(NPD)に多い社会的・対人的トラブルと受診のきっかけ

前回の記事で書いたように、自己愛性パーソナリティー障害(NPD)を含むパーソナリティー障害の精神医学的な診断は、『本人の主観的な苦しみ・本人の社会的職業的な障害』『周囲にいる他者に対して危害や迷惑を加える行為・日常生活や対人関係におけるトラブル』がある時に初めて診断されることになります。

本人にとっての主観的な苦しみや社会的職業的な障害として考えられるもの……『仕事が続けられない・仕事が上手くいかないので収入が減ったり無くなったりする・人間関係が上手くいかずトラブルが起こる・思い通りにならない人間関係によって怒りや抑うつ、絶望を感じやすい』などがあります。

周囲の人たちにとっての危害や迷惑として考えられるもの……『すぐに不機嫌になって怒るので気を遣いすぎる・人間扱いされずに道具のように扱われる・職場で協調性がないので仕事が進まない・仕事中に自分を特別扱いしないと怒り出す・いつもその人を中心にして賞賛しないといけない不自由な状態になっている(家族や職場がその人に支配されているような窮屈な場になっている)』などがあります。

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人は、自分を賞賛(評価)されて当たり前の特別な存在と思い込んでいるために、他人の気持ちを推測したり共感したりすることが苦手で、『自己中心的・他者支配的な行動』をしやすいところがあります。その結果として、現実の日常生活・職業活動でトラブルや症状の問題化が起こりやすくなり、そういった『社会的・対人的なトラブル』が元になってクリニック(病院)を受診することがあります。

通常は、自己愛性パーソナリティー障害の人は、自分自身が悩んだり困ったりして病院(クリニック)を受診したり誰かに相談したりすることはありません。家族や恋人、上司など周囲の親しい人たちが、自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人の『社会的・対人的なトラブル』で困り果ててしまい、精神科・心療内科・相談機関に相談するケースが多いのですが、本人が自ら受診するとしたら『抑うつ感・無気力・不安感・他者(社会)への怒り』など自己愛の障害とは異なる別の悩みを訴えてのことが多いのです。

自己愛性パーソナリティー障害の人本人は、自分の性格行動パターンや人間関係の持ち方に対して問題意識を持っておらず、トラブルが問題が起こった場合でも悪いのは『自分』ではなく『他者・社会(環境)』であるという責任転嫁をしてしまいます。そういった他者への責任転嫁によって、自分が内面に密かに持っている『劣等コンプレックス・不完全さ・自分の間違い=特別ではない自分』に直面しなくても良いように自己防衛しているのです。

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『社会的・対人的なトラブル+症状の問題化』は本人にとっても周囲の人にとってもつらくて支障が多いものですが、本人が自発的に乗り気にならない『受診の動機づけ・きっかけ』になることもあります。自己愛性パーソナリティー障害の人に多い社会的・対人的なトラブルには以下のようなものがあります。

他者の評価に対する過敏性(承認欲求)による不安定さと怒り……自己愛性パーソナリティー障害の人は自分に対する『本当の自信』がないために、他者から褒められるか認められるかという評価に対して敏感に反応します。自信や傲慢さは『虚勢・見せかけ』に過ぎないので、いつも他者の賞賛・賛同で自己愛を補強して貰わなければ精神状態が不安定になりやすく、そのために『他者の反応・言動』に一喜一憂して振り回される苦しみがあります。

他人は常に自分を肯定して当たり前という思い込みがあるので、自分が批判されたりバカにされたりしたと感じた時には、前述した非常に激しい『自己愛憤怒』が生じて攻撃的・破滅的になることもあります。

自己愛的憤怒は客観的には身勝手な怒りに過ぎないのですが、自己愛性パーソナリティー障害の人は『自分をちやほやして賞賛・尊敬する人』『特別な地位や能力を持っていてまともに競争しても勝てないことが自明な実力者』とは機嫌よく付き合えることが多い一方、『自分を批判・否定する人』に対しては嫌悪感や怒り、拒絶を示して対人関係そのものが非常に移り気で不安定になりやすいのです。

共感性・思いやりの欠如による職場・家庭・交遊での人間関係のトラブル……自己愛性パーソナリティー障害の人は、自分を特別な存在だと思い込んでいるので、他人をいつも『道具・モノ』のように自分の思い通りに動かそうとしています。他者にもその人の独立した『自我・感情・利害・都合・事情』があるという当たり前の現実が認識しづらいので、『他人=自分を賞賛したり肯定したりして機嫌を取ってくれる役割の人』という極めて自己中心的な人間関係の捉え方に陥りやすいのです。

自己愛性パーソナリティー障害の人は自分に対する『本当の自信』がないために、周囲の人たちが自分を賞賛・肯定してくれないと、それだけで『自分が否定されている感覚』になって不機嫌になったり怒ったりしやすいのです。自分は何でも言いたいことを言ってやりたいことをやってもいいが、他人は自分に対して常に気を遣って機嫌を損ねないようにしなければならないという身勝手なダブルスタンダードがあり、それについていけない他人との間で諍いやトラブルが増えてきます。

相手を自分の思い通りに動かそうとするも、相手にも人格やプライド、感情があるので、多くは思い通りにならずに不機嫌になって怒ることになってしまう。そういった自己中心的な人間関係のパターンを繰り返すことによって、周囲の他者とぶつかり合って喧嘩になったり、周りの人が離れていって孤立するという問題も起こってきます。

みんなが守るべき社会・集団のルールを守れない……自己愛性パーソナリティー障害の人は、自分を特別な存在だと思い込んでいるので、『社会・集団のルール』があっても自分だけはそれを守らなくても良い“特権”があると考えてしまいやすい。自分だけがルールを守らないことを周囲の人たちは通常認めてはくれないので、ルールを守って集団行動しなければならない会社(職場)・学校・社会に適応できなくなったり孤立してしまいます。

みんなが行列に並んでいても自分だけは並ばなくて良いと考えたり、入場許可証が必要な場所でも自分だけはそんなものは不要で“顔パス”で通れると言ったり、病院・美容院などで事前予約が必要な場所でも予約していない自分を最優先しろとゴネたりします。社内の服務規則も守らないことが多く、家庭や友人関係、恋愛関係では特に自分だけは特別扱いされて当たり前と思い込んでいるので、それを受け容れてくれない相手との間ではトラブルが起こります。

一人の時間を楽しく過ごせない……自己愛性パーソナリティー障害の人は、常に他者からの賞賛・評価を求めていてそれで脆弱な自我を支えているので、誰からも認めてもらえない『一人の時間』を過ごすことは余り得意ではありません。仕事・勉強・趣味(旅行など)も、自分が一人だけでコツコツ努力したり取り組んだりするのは苦手であり、『周囲の誰かから認めてもらうこと・評価してもらうこと』がないとモチベーションが維持できなくなりがちです。自分一人だけの状態ではそのモチベーション低下によって、継続して仕事や勉強、趣味に取り組めないことも多くなります。

自分一人の『内的な世界』を豊かにしたり充実させたりすることが苦手なので、『本当の意味での興味関心の対象』というものが乏しく、絶えず『対人関係の中での賞賛・評価』を求めて誰かが自分の機嫌を取ってくれるのを待っているのです。常に自分に肯定的な態度で構ってくれる人を求めているので、近しい家族・恋人・友人に対しては束縛が強くなったり、支配的な関係を築こうとすることがあり、それに従わない相手との間で『怒り・暴力・抑うつ・自己嫌悪』を伴うトラブルになる恐れがあります。

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自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の原因

自己愛性パーソナリティ障害の原因については、『遺伝要因・環境要因(家庭の親子関係と成育歴)・脳機能要因』などさまざまな仮説がありますが、環境要因としては乳幼児期の頃に『他者に対する基本的信頼感・自己肯定感』を得るための『無条件の注目・関心・愛情』を与えてもらえなかった可能性が考えられます。

生まれて初めて出会う人間である『親』から愛情・保護を与えてもらえず信頼できなければ『基本的不信感』を持ちやすくなり、基本的不信感(他者を信じられない敵と見なす認知)があると自尊心を守るための誇大的自己が強くなって、『強い者には媚びて弱い者には威圧的に振る舞う』という対人関係の問題が起こりやすくなります。

自己愛性パーソナリティー障害の環境要因としての原因の一つは、『乳幼児期から思春期にかけて家庭環境で親から『無条件の愛情・関心・保護』を与えられなかったことであり、親が子供が何かを上手くやれば愛情・関心を注ぐが失敗すれば罵倒したり無視したりするという『条件つきの愛情・関心・保護』を与えていたということにあります。その結果、子供は自分は無条件には愛されない存在であり、『親の期待に応える自分(親の望んでいることを実現した自分)』しか愛されないという条件つきの愛情が当たり前であるかのような学習をしてしまうのです。

誰かの期待や要求に応えて『必要とされる自分』でなければ愛されないし存在することが許されないということを幼少期の親子関係から学んでしまうと、『自己無価値感・他者に対する基本的不信感』を持ちやすくなるわけですが、これが『ありのままの自分を愛せない』という自己愛性パーソナリティー障害の遠因になる可能性があると考えられています。

成功することもあれば失敗することもあるという『ありのままの自分・構えていない自然体の自分』を親から無条件で愛されて受け止められる体験をすることによって、『健全な自己愛・基本的信頼感・安心感安全感』というものが培われて、自己愛性パーソナリティー障害などのパーソナリティー障害を発症するリスクを下げてくれるのです。

自己愛性パーソナリティー障害は『過保護・過干渉・甘やかし』の家庭環境(親子関係)でも、『虐待的・支配的・放任や育児放棄(ネグレクト)』の家庭環境(親子関係)でもどちらでも発症リスクが上がると考えられています。特に子供を無為意識的に思い通りにコントロールして親に過度の気を遣わせようとする『無関心・虐待的で不在がちな父親+過保護・過干渉で支配的な母親』の組み合わせが最も自己愛性パーソナリティー障害を生み出しやすいようです。この父母の組み合わせは『親の顔色を伺う子供の態度・ありのままの自分を押さえ込んで気を引こうとする行動・父親への不満を子供にぶつける母親』を生み出しやすいところがあり、ありのままの自分を愛せないために空想的な誇大自己で虚勢を張る性格傾向を形成しやすいのです。

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乳幼児期から思春期にかけて、『ありのままの自分』が親に愛されて認められているという『基本的安心感』を獲得することができれば、『自分は条件を満たさなければ愛されない無価値な存在である・人の期待に応える有能で素晴らしい存在でなければ愛されない』という自己愛性パーソナリティー障害の非適応的な認知を持たずに済むのです。

しかし『ありのままの自分』は無価値で誰にも愛されない惨めな存在であるという自己愛性パーソナリティー障害の非適応的な認知が強固に形成されてしまうと、他者に愛されて認められる自分であるために『誇大的自己(万能で特別な存在である自分の虚像)による自己洗脳』を行うようになったり『他者からの賞賛・賛同・評価』を常に求めて落ち着かなかったり、『際限なく成功・地位・権力・美しさを求める』ようになったりしてしまうのです。

反対に、幼少期から親の期待・理想にほとんど完璧に応えて親からも賞賛され甘やかされ続けてきた優秀な子供で、成長してからもエリート路線を走り続け、それなりの社会的・経済的成功を収めた人も自己愛性パーソナリティー障害を発症することがあります。

そういった親・社会が求める課題をクリアして競争に勝ち続け、『条件つきの愛情・賞賛』を得てきた人のケースでは、『誇大的自己の維持・幼児的全能感の去勢機会の喪失』によって、自分は何でも思い通りにすることができるし今までやり遂げてきたのだという『成功体験・競争原理に基づく自己愛性パーソナリティー障害』が見られることがあります。いわゆる敗者・弱者の気持ちが分からない『勝者の傲慢な心理』がパーソナリティー化したものであり、いつでもどんな場合でも自分が勝って成功して当たり前と思っており、他者からの批判・否定がどうしても許せない(今まで常に最高の成績を上げ続けてきた自分に意見するなんて生意気な気に入らない奴だ)という感受性が根付いてしまうのです。

『ありのままの自分』では誰にも愛されず相手にされず惨めな思いをするから、『万能で特別な存在であるという自己イメージ』に自己洗脳や虚勢・怒りで必死にしがみつくというのが自己愛性パーソナリティー障害の現実の一面となっています。幼少期にありのままの自分を愛せないトラウマを植えつけられても、その後の学校生活や交友関係・異性関係を通して愛されたり認められたりする経験を繰り返すことができれば、青年期以降に自己愛性パーソナリティー障害の問題が起こらずに自然に回復するというケースも有り得ます。

自分で自分を好きになって自分を大切にするという『自己愛』は、厳しい人生を力強く生きて謳歌するためには必要なものですが、自己愛には自分と同じように他者の人格・権利・感情も尊重して共感できる『健全な自己愛』と、自分だけを特別視して他者を道具のように扱って利用しても罪悪感を感じない『病的な自己愛』との違いがあるのです。

自己愛や承認欲求(社会的欲求)は『良い自己評価を伴う正常な心理構造』の一部であって、自己愛そのものはどちらかといえば嫌な出来事に耐えて自分を支えてくれる良い働きをしています。しかし、自己愛のバランスが崩れて他者を軽視しはじめたり、自己愛の調節障害が起こって『誇大的自己(万能で特別な自己)のイメージ』に飲み込まれた時に、自己愛性パーソナリティー障害の苦悩や迷惑が生じてしまうのです。

自己愛性パーソナリティー障害の脳機能要因としては、乳幼児期から児童期に親から『条件つきの愛情・保護』を与えられ、『親の期待に応えなければ愛情を注いでもらえず見捨てられる』と感じ続けてきたトラウマ(心的外傷)が、『扁桃体(情動中枢)の過剰反応』を引き起こしているのではないかと推測されています。原始的本能的な脳の部位で爬虫類脳とも呼ばれる大脳辺縁系にある『扁桃体』は、快と不快の情動記憶を司る情動中枢であり、特に幼少期に体験したネガティブな記憶の保管場所になっています。

扁桃体は快(安全・味方)と不快(危険・敵)の感覚を識別して生存維持を担っている原始的本能的な脳の部位ですが、特に危険な状況や敵に遭遇した時に反射的に起こる『闘争‐逃走反応(fight or flight reaction)』が知られており、扁桃体の過剰反応が自己愛性パーソナリティー障害の自己愛的憤怒・(拒絶時の)抑うつの生理学的原因だと考えられています。扁桃体が過剰反応することによって、自己愛性パーソナリティー障害に特有の『怒り・暴言・攻撃性・抑うつなどの情動制御困難』が発生しやすくなるのです。

扁桃体が過剰反応するようになった原因には『乳幼児期の親の期待に応えられなかったり逆らったりしたら見捨てられて生きていけない』というトラウマ記憶が関係していると考えられますが、自己愛性パーソナリティー障害の激しい怒り・抑うつなどの情動制御の困難には『扁桃体の過剰反応+大脳皮質の前頭葉(思考力・創造性・衝動制御の中枢)の機能低下』を想定することができます。

自己愛性パーソナリティー障害の原因となる家庭環境・親子関係では、『過保護・過干渉・甘やかし』か『虐待的・支配的・放任や育児放棄(ネグレクト)』が見られることが多いのですが、前者は甘やかして欲求を我慢できない『前頭葉の機能低下』になりやすく、後者は虐待・拒絶で強い恐怖感(死ぬかもしれない恐れ)のトラウマを与えて『扁桃体の過剰興奮』を引き起こしやすいのです。

自己愛性パーソナリティー障害の人は『扁桃体の過剰反応+大脳皮質の前頭葉(思考力・創造性・衝動制御の中枢)の機能低下』によって、小さなストレスにも過剰反応して危機感を感じやすくなっており、他者から拒絶されるとかバカにされるとかいう危機感(自己無価値感を味わう恐怖)を感じると、『人間的な大脳皮質・前頭葉』よりも『動物的な大脳辺縁系・扁桃体』が敏感に反応しやすくなっているのです。

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自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の対応・治療・カウンセリングのポイント

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)には決まった精神医学・臨床心理学の治療法は確立していませんが、自尊心が崩れて自信を失った時に発症する病的な抑うつ感・高揚感・不安感がある時には『薬物療法』も有り得ますが、一般的には認知行動療法や対人関係療法、洞察療法(自己の問題ある性格傾向への気づきの促進)などの『心理療法・カウンセリング』で行われることが多いでしょう。

自己愛性パーソナリティー障害を改善するための心理療法やカウンセリングの目的は、『他者への共感性の再獲得・等身大の自分への気づきと受容(誇大的自己に基づく虚勢の)・現実的な日常生活や人間関係への再適応』ということになってきます。自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人は『ありのままの自分』を愛せず認められないことが問題の本質にありますが、であればこそ、NPDの治療方針というのは『幼少期から抑圧してきたありのままの自分(ありのままの等身大の自分に親が愛情を注いでくれなかったというトラウマや劣等感)』と向き合ってそれを受け入れていく精神的にもつらいプロセスになってきます。

自己愛性パーソナリティー障害の人は『批判・反対・注意』を極端に嫌って、あまりに現在の自分の性格傾向や対人関係の持ち方、価値観を強く批判されると、自己愛的憤怒を起こしてまともなカウンセリングや治療的な面接・対話が不可能になってしまいます。心理療法・カウンセリングと関係のない一般的なコミュニケーション場面における接し方としては、周囲の人たちは『自己愛性パーソナリティー障害の人の要求・命令を受け入れすぎないこと』『共感的に接しつつも一定の距離感を保って飲み込まれないようにすること』『優劣を競い合ったり批判・説教をしないようにしてその場における事実や自分が感じたことだけを指摘すること』などを心がけると良いかと思います。

自己愛性パーソナリティ障害の人の一般的な特徴として『自分自身でクリニックや相談機関に悩みを相談することがない』『人の話を素直に聞かないので他者からの操作的な働きかけが難しい』ということがありますが、自己愛性パーソナリティ障害の人に対する治療的アプローチが効果を持つために『問題状況や性格傾向に対する本人の一定の気づき(良くなりたい治したいと思う動機づけ)』がないと難しいのです。

自己愛性パーソナリティ障害の人は、周囲の人を巻き込んで『上下関係の枠組み(自分の言うことを聞いて褒めてくれる下位者)』に相手をはめ込もうとすることが多いのですが、NPDの人との接し方では『自分自身が潰されない程度の距離感を保つこと(できることとできないことをはっきり相手に示すこと)・相手の攻撃的な言動を真に受けすぎないこと(動揺して落ち込んだり反撃したりしないこと)・相手を無理に変えようとするのではなく自分を守りながら最適な付き合い方を考えること』がポイントになってきます。

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自己愛性パーソナリティ障害の根本原因には、『ありのままの自分を愛されなかった過去の親子関係(ネガティブな原体験)』『幼児的な全能感を去勢されなかった成功体験と甘やかしの連続(ポジティブすぎる原体験)』があると推測されていますから、親子や家族みんなで合同的な心理面接を行っていく『家族療法』も有効になってきます。自己愛の過剰やモラハラ・DVのような言動によって夫婦関係が険悪になっているようなケースでは『夫婦カウンセリング(カップルカウンセリング)』のような取り組みが行われることもあります。

家族療法ではそれぞれの家族メンバーが納得できるような『過去の記憶や感情の物語的な整理(幼少期に満たされなかった本人の感情を改めて受け止めてその存在価値を認めて上げること)』を進めていくのですが、本人に無理をして虚勢を張らなくても大丈夫(ありのままのあなたでも十分に素晴らしい)というメッセージをどうにかして伝えられるか否かが回復の鍵になってきます。

自己愛性パーソナリティ障害の心理療法やカウンセリングで参照されるべき理論は、やはり精神分析家ハインツ・コフートの自己心理学の中にある『自己愛理論』になってきます。コフートは人間は誰でも発達早期に受けた心理的な傷つき(欲求充足の欠如)を抱えているという『欠損モデル(defect model)』から、人間の自己愛の正常な発達と病的な発達の分岐を考えています。発達早期に母親が赤ちゃんにミルクを与えるのが遅くなったり、赤ちゃんのわがままに怒ったり、疲れていてそっけなく接したりする時に、人間は『幼児的な全能感』が通用しない欲求不満という『欠損』を誰もが経験することになります。

発達早期に思い通りにならない『欠損』を感じた経験が、自己の不完全さや他者への欲求不満につながり、親の理想化・誇大性を求める『自己愛の起源』になっていきます。コフートは自己愛の発達ラインとして『理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)』『誇大自己(grandiose self)』を考えていましたが、自己愛性パーソナリティー障害というのは発達早期のトラウマ(親からの無条件の愛情・保護が得られなかった見捨てられる不安と死の恐怖)によって『親の理想化ができなかった状態・誇大自己を去勢できなかった状態』であるとも言えるわけです。

心地よいコミュニケーションのある共感的な親の元で、『理想化された親イマーゴ』の自己愛ラインの発達が上手く進んで『対象恒常性』が成り立てば、自己愛性人格障害の原因となる『非適応的な誇大自己』の発達を抑制することができます。それは、精神内界に安定した『対象恒常性』が確立することで『過剰防衛を行うための誇大的自己』を強める必要性がなくなるからで、虚勢を張ったり他者の賞賛を集めたりしなくても『ありのままの自分』を受け入れやすくなるからです。

向上心になる『誇大自己(grandiose self)』と理想目標になる『理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)』が相互作用することで進む心的構造の発達過程を『変容性内在化(transmuting internalization)』といいますが、自己愛性パーソナリティー障害の心理療法ではこの変容性内在化を再体験することで『等身大のありのままの自分』を愛することができるようになることが最終目標の一つになります。

自己愛性パーソナリティー障害の『傲慢な態度・わがまま・自信過剰・攻撃性』は、幼少期から植えつけられてきた『危険な世界・信頼できない他者』に対する防衛機制(過剰防衛)の現れなので、幼児的な全能感を抑制して現実的な野心(理想)のレベルに調整できれば、他者の人格を否定したりモノのように扱ったりする病的な自己愛に基づく問題行動は減りやすくなります。

現実には自己愛性パーソナリティー障害の人は防衛機制が上手く働いている限りは、『主観的な苦しみ・悩み』を感じにくいので心理療法やカウンセリングを自発的に受けに来ることは殆どありません。しかし、自己愛性パーソナリティー障害という問題そのものは『ありのままの自分自身を愛せない・虚勢を張り続けて緊張していないといけない・他人との良好な人間関係を築くことができず孤立しやすい』というかなりつらくて大変な問題を含んでいますから、『仕事や対人関係でトラブルが多いのはもしかして自分の性格にどこか問題があるのでは』というようなちょっとした気づきが得られたとしたら、思い切って治療的アプローチを受けてみるほうが良いと思います。

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自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人の外見的な特徴・顔つき

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人の『外見・顔つき』に特徴があるという医学的根拠や写真などの客観的データはありませんが、実際に自己愛性パーソナリティー障害の人と関わりを持ったことのある経験者は『NPDの人には一定の共通した外見的特徴があるように感じる』という意見は多いようです。年齢を重ねるほど、人の性格傾向や感情の出し方、人との接し方、暮らしぶりは『顔つき・口ぶり』に出やすいということはあります。また、いつも怒っている人(威圧している人)やいつも笑っている人(楽しそうにしている人)は『よく使う表情』が自然に染み付きやすかったりもします。

自己愛性パーソナリティー障害の人の顔つき・外見の特徴としてよく指摘されているものとして、『目・顔の感情表現が乏しく、攻撃性の強さや冷たさを感じる爬虫類系の顔立ち』『相手の動作や発言を注視して見つめているようなギョロギョロ(ギラギラ)とした目つき・好戦的な印象のある鋭いつり上がった目つき』『口だけが笑っていて目が据わっていて威圧感がある』『実年齢に比べて幼い顔立ちに見える』がありますが、飽くまで経験者や時々の印象における傾向性の話に過ぎず、『上記のような顔つき・外見の特徴があるから、自己愛性パーソナリティー障害である(遺伝的に元々目つきがギョロギョロしていたり顔の造作が爬虫類的なイメージの人もいるわけですから)』と言えるほどのものではありません。

最低限、自己愛性パーソナリティー障害の顔つき・外見や雰囲気の特徴として言えることを上げるとすれば、『目の前にいてほんわか落ち着いて安心できるような印象の顔つきではないこと』『相手を共感的に受け入れてくれるような柔らかい目つきではないこと』『美醜の問題ではなくずっと顔を見ていると何となく威圧感や攻撃性を感じやすいこと(何か自分を否定されるようなことを言ってきそうな表情や雰囲気があること)』『笑顔がどこか作り物めいていて目が笑っていないこと(さきほどまでの笑顔が急に怒った顔や不愉快な表情に変わって外見のイメージが安定しないこと)』『信頼や安心を寄せられるような感じの笑顔・愛想の良さではないこと(作られた完璧な笑顔すぎて逆に胡散臭さを感じさせるとか裏の意図を感じさせるなど)』くらいは当てはまることが多いのではないかと思います。

DSM-5による自己愛性パーソナリティー障害の診断基準

アメリカ精神医学会(APA)が作成した“精神障害の統計・診断マニュアル”であるDSM‐5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの第5版)は、世界保健機関(WHO)が定めたICD(International Classification of Diseases:国際疾病分類)と並ぶ精神医学の精神障害分類と診断基準の国際的なスタンダードとなっています。DSM‐5によると『自己愛性パーソナリティー障害(旧自己愛性人格障害)』の診断基準は以下のようなものとなっていますが、これらの診断項目は自己愛性パーソナリティー障害の多様な症状・問題(トラブル)・心理を理解していく上で参考になる情報にもなっています。

DSM-Ⅳ‐TRとDSM‐5の自己愛性パーソナリティー障害の診断基準は大枠において目立った変更はありません。2010年代から“personality disorder”の直接の日本語訳である『人格障害』という表記・呼称は使われなくなってきています。人格障害という呼称は、『人格・人柄・人間性』が病的な異常を来たしていて人格に問題があるという差別的ニュアンスで受け取られやすいことから、日本語による表記は意味的に中立に受け取られやすい『パーソナリティー障害』が主流になってきています。

DSM‐5による自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)の診断基準

誇大性(空想または行動における)賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張するが、十分な内容を伴っていない。

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人(権威的な機関)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。

4. 過剰な賞賛を求める。

5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9. 尊大で傲慢な行動、または態度。

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